2015年8月 8日 (土曜日)

イライラの原因をなくす

感情的なことなので、仕方がないことですが、誰にでもイライラすることはあります。しかし、イライラして得することはありません。
イライラするとはっきり損である以上、そうならないようにコストを投じるのは合理的です。
では、人間はどんな時イライラするのでしょうか。
例えば、暑くてイライラする。このような自然現象は仕方ありません。仕方ないとわりきれば、多少おおらかになれますし、それでイライラして損するくらいなら、多少費用を投じて、クーラーを入れる、アイスを食べるなど、涼をとったほうがトータルで損は少ないでしょう。
次に、自分がギリギリでイライラするケース。例えば、大事な会議に間に合うかギリギリなのに渋滞に巻き込まれたという場合、会議に間に合わない不安、到着時刻の目途が立たない不安がイライラの原因でしょう。
多くの場合、ギリギリで設定した目標は達成できません。自分ではギリギリいけると思っていても、周囲は自分の思う通りには動かないからです。ギリギリの目標を立てて、イライラして失敗するのは最悪のシナリオ。大切な目標は必ず余裕を持ってスケジューリングすべきです。
これと逆のパターンで、自分の目標が高すぎて、周囲にイライラするケース。例えば、計画的にきちんと成果を積み上げれば、部門として過去最高の実績があげられる見込みがあるため、自分はバリバリ仕事をしているにも関わらず、余裕を持ちすぎて緩んでいる周囲にイライラするケースがあります。
高い目標が、自分1人で達成できないものであれば、これは周囲とのコミュニケーションの問題ですし、それで解決できないならば、自分の目標を下げた方が余計なイライラ感をもって周囲と温度差を生じるよりもはるかにましでしょう。
無理にすべてのパターンに共通する結論を出すなら、自分に余裕のないプランは、イライラして破綻する最悪のプラン。
多少の犠牲をはらっても余裕を残すシナリオを描き続けることが大事だといえるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月24日 (月曜日)

レ・ミゼラブルを見て

一昨日から公開されている映画「レ・ミゼラブル」を大阪ステーションシネマに見に行きました。
公開中につき、内容には触れないようにして、我々(現代人)は生きることにもっと貪欲にならなければならないというのが1つの感想です。
貧富の差が激しい社会では、上は地位にあぐらをかき、下は一生懸命頑張っても得られる富の限界があり、社会がうまく回りません。
その問題点を対策した現代社会では、物乞いや売春をしないと生きていけないというような状況はありません。
しかし、生活保護にあぐらをかいて働かない不労層が社会の問題となっています。
生きるというのはとても大変なこと。まずこれを個々人がしっかり認識しできる努力をしなければなりません。
そのうえで、頑張ってもどうにもならない状況の人を社会全体で救う、これが理想的なあり方だと思います。
どうも、現代人は将来の保障ばかり注目し、いかに今頑張るかを軽視しているように思います。
行政が守ってきれなくとも、本当に頑張っている人は社会が、周囲が決して見放しません。
小手先の交渉でわずかな将来の保障を得ようとする前に、まずは自分にでいることをしっかり尽くす、その姿勢を広めていかなければ、無気力社会はいつまでたっても良い方向に進んでいかないような気がします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月23日 (金曜日)

びっくりさせる

家政婦のミタ最終回は、21世紀最高ともいわれるとてつもない視聴率をたたきだしました。

全体として暗いこのドラマがなぜこれほどまでにヒットしたのか。

私は、先の読めないびっくりする展開に多くの方がひかれたのだと思います。

本当にその指令実行するの? 本当にやったー!

という驚きの連続が視聴者を飽きさせず、釘づけにした一番の要因ではないでしょうか。

ドラマに限らず、宴会やパーティーでの演出など、人をひきつけるには、マニュアルとは正反対に、予想の斜め上をいくシナリオを準備することが大切だと改めて認識させられます。

ただ、裏をかえせば、その他のドラマなどは、マニュアルから大きく逸脱していない、ありふれたものだともいえそうです。

先の読めるありきたりな恋愛ドラマや、淡々と語られる偉人伝には驚きがなく、継続して視聴する力をもたらすのは困難ではないでしょうか。

今回のミタの成功から、同じようなパターンのドラマが増えそうですが、大事なのはミタの世界をまねるのではなく、視聴者の予想の斜め上をいき、びっくりさせることだということが認識され、もっともっとエンターテインメント界のレベルがあがっていけばよいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月27日 (火曜日)

権利の確認は書面で念いりに

ドラマ「アイリス」の放送中止の仮処分申立は、TBSが韓国企業の争いに巻き込まれたかたちとなっています。
このように、真の権利者がどちらであるかでもめるのは、小さい企業の間ではよくあることなので、個人的には珍しいとは思いませんが、大企業が絡むのは結構珍しい話だと思います。
著作権は権利者の公示がなされないこともあり、非常に難しい権利ですが、だからこそ、権利の帰属に疑いがあれば必ず顧問弁護士に確認するはず。
顧問弁護士に確認し、適切な書類のやりとりをしていれば、この裁判は一瞬で決着がつくでしょう。
それを怠っていれば、泥沼の争いにつきあわされる可能性があります。
重要な権利の帰属は書面で明らかにするのは常識です。
書面で明らかにしていれば、ぬけがけをしようとしても、常に他の書類との矛盾をつきつけられ、身動きがとれないはずです。
そういうわけで、弁護士視点でみれば、しっかり1つ1つ書面が残されていれば、たとえその中に1点欠落があっても、周囲の書面でフォローでき、安心した仕事ができます。
ここで書面作成を怠ると、どちらの言い分が正しいかわからなくなりますし、内容虚偽の書面が紛れ込むとわけわからなくなります。
この件は、おそらく、真の権利者が誰であるかを証拠をひっくりかえして検討するのではなく、真の権利者はどちらであると合意したかを、残っている書類から合理的に読み解く事件になるのではないかと思います。
書面管理に几帳面な方が勝つといえば、簡単ですが、その対価は非常に大きい大変な事件となっていま。
ただ、願わくば、このドラマを楽しみにしている何の落ち度もない一般人が悲しむような結論とならないことを祈るばかりです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月25日 (日曜日)

龍馬の前後

大河ドラマが火付けとなり、空前の龍馬ブームのようです。

時代劇は、格好つけすぎてわかりにくいものが多いですが、龍馬伝はストーリーがわかりやすく、キャラが立っているので、時代背景を知らなくても見やすいドラマだと思います。

史実と違う点の指摘もありますが、そういった細かいところを無視すれば、非常に完成度のおもしろいドラマだと思います。

それはさておき、龍馬伝の前後のNHKの番組を見ていると、とても、龍馬伝目当ての視聴者のニーズにあったものではない気がします。

いつも、龍馬伝のあと、NHKをかけっぱなしにしていると、暗い、社会問題を扱ったドキュメンタリーが流れています。

龍馬伝の前は、今日は、お世辞にもかわいいとはいえない生き物を追跡する番組。

NHKだからこそやらなければいけない番組ではあるのでしょうが、この時間帯に持ってくるのが適切であるかは一考が必要ではないかと思いました。

これが、龍馬伝の視聴者に社会問題を考えてもらう狙いであればすごいものですが、間にニュースを挟む間に、他のチャンネルに変えられてしまうでしょう。

せっかくの龍馬人気ですから、それを活かして、その前後でも、あわせて視聴してもらい、日本の文化や社会問題を無理なく考えてもらう番組編成にできればよいのではないか、もったいないな、と日曜の9時過ぎに感じることが恒例となってきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月 8日 (金曜日)

物事には理由と裏付けがある

何らかの現象には全て理由と裏付けがあると私は思います。

現時点では証明できませんが。

今日寒いのも、不況なのも、電車が1分遅れて運転したことも、誰と誰が偶然どこかで出会ったのも、全て理由と証拠があるはずなのです。

しかしながら、今の科学等では、起こる現象の一部しか証拠で証明することができません。

歴史的には事実であっても、嘘である可能性が払拭できなければ評価されないことは、仕方のないことですが、酷にすぎる側面もあります。

自覚症状はあるが他覚所見がない

・・・を認めるに足証拠がない

といった事件を見ると、今の時代では仕方がない、時代が違ったら・・という当事者の無念がよくわかります。

しかし、これはタイムテレビが発明されない限り、未来永劫解決しない問題です。

現時点の科学でないものをねだるわけにはいきません

大切なのはないものを無理に探すのではなく、あるものを見落とさないこと。

あるものを見落とさないためには、日常を観察し、いつもと違う点を探すこと、これが基本です。

我々は普段「完全」を求めすぎな感があります。

しかし、完全であるかは科学的な証明によるところ、それはつまり科学に支配された社会だということです。

なんでも完全に証明でき、裏付けのとれる社会は人間の社会ではありません。

日々の仕事に無念を感じつつも、この無念が晴れるときは、人間ではなく科学の社会だということに、社会のおかしさを感じます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月30日 (土曜日)

ROOKIES

ROOKIES初日公演に行ってきました。

思っていた以上に若い女性のお客が多く、「週刊少年ジャンプのマンガじゃなかったのかよ」と感じました。

内容のネタバレは厳禁でしょうから、ここでは書きませんが、基本は原作の笹崎戦。

ただし、原作は安仁屋のサヨナラホームランでニコガクが勝ちましたが、映画ではニコガクが先攻で、それが試合の最後に大きなポイントになります。

安仁屋・新庄・若菜は、原作と変わることなく、持ち味を存分に出していますし、平塚は劇場中の爆笑を呼んでいました。

そういうあたりで、各キャラの個性を明確にしながら、丁寧にその心情を描写しており、非常に理解しやすい丁寧な作品に仕上がっています。

原作では毎試合、何らかのトラブルを起こす川藤先生は、この映画ではあまり暴れません。

それは映画という限られた時間の都合なのでしょうが、生徒がもう川藤先生の手を離れ、自分の力で夢を見つけ、その実現に向けて努力していく心を手に入れた、そして、卒業、というテーマにつながっており、このあたりの完成度も秀逸です。

この映画は、単にイケメンタレントの集客力に依拠したものではなく、内容的にも文句なく素晴らしいものです。

原作を知る人も、知らない人も、是非一度見てほしいと勧められる作品です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月21日 (土曜日)

長く続く番組

土曜日は長く続いている番組が結構あります。

私は土曜日は仕事やJCやつきあいなどで、ほとんど家にいないため、最近はほとんどテレビを見ていませんでしたが、今日は久しぶりに家にいたので、ゆっくりテレビをみました。

しかし、一風変わった、頭を使う問題がウリだったクイズ番組が、ごく普通の常識問題番組になっていたり、同じ芸人ばかりを繰り返し使い続ける番組であったり、少しがっかりした感がありました。

一定の知名度を得ると、なかなかやめられないものですが、惰性で、同じことばかり繰り返したり、やっつけで、ありきたりな内容で番組を続けることにはあまり賛同できません。

視聴率を維持するなら、常に新しい人材を取り入れ、新しいことにチャレンジするか、変わらないことを存在価値とするものであれば、現在のクオリティの維持のために最善を尽くしていかなければなりません。

こうした努力が「リスク」となるなら新番組で対応することになるのでしょうが、長く続くものは、このようなリスクを冒すことをまず放棄し、よそから簡単に取り入れられそうなノウハウだけをもってきてあてはめるということがしばしばあるようです。

人間の思考も社会も日々刻々変わっていくものです。

あまり何が一番正解かを考えることなく、随時、社会や人が何を求めているかを観察し、検討してみることが大事だと改めて感じます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月28日 (日曜日)

今年のお笑い芸人

ゆっくり今年のお笑い芸人のネタを見返していました。

当たる芸人・当たらない芸人には一定の傾向があるようです。

ありきたりなものでも、斬新な切り口で大胆に行えば当たる。

昨年ブレイクした小島よしおがなんとか今年の生き残ったのはこの面があると思いますし、その後にわらわらと現れた脱ぎ芸人は、宴会芸の延長レベルでしかないものが多く、売れない結果となっています。

髭男爵も、売れない時期と比べてやっているネタは大きく違うわけではありませんが、本物の男爵になり、乾杯に合わせた口調にすることで、新鮮さが出、一気に人気が出ました。

あとは、やはり流行の対象となるようなフレーズがあるか。

クールポコは昨年から売れ始めていましたが「やっちまったな~」が流行して一気にブレイクしました。

小学生がよく口にすると、町中で耳にすることが増え、大人の会話の中で耳にすることが増えると、「今流行っているのか?面白いのか?」と興味が沸き、次々と人気が広まります。

表に出るということはそれだけ批判も増え、大変だとは思いますが、お笑いは日本が世界に誇ることができる大事な文化の一つだと思いますので、来年もどんどん新たな芸人が台頭し、盛り上がってほしいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月24日 (土曜日)

わんぱく相撲

JCメンバーとしてわんぱく相撲大阪市大会の運営に携わりました。

何百人単位のJCメンバーが動くため、事前の打ち合わせが十分にできるわけではなく、ぶっつけ本番の手探りの運営でしたので、最初はJCメンバー同士でお互いの意見が割れ、口論になったり、不穏な空気が流れたりもしましたが、とりあえず一回りすると、課題もわかり、お互い意見を出し合って運営方法を協議し、試合ごとに改善していくことができました。

子供ももっと扱いにくいものかと思っていましたら、確かに整列一つさせるにも言葉一つで動いてくれはしませんが、笑顔で何度か話しかけているとちゃんと応じてくれ、素直でいい子供が多いなと感じました。

試合は、本当に純粋な勝負で、勝利のために親やコーチが必死で指導したり、小学生らしからぬ特殊な技を使うこともなく、純粋にぶつかって力勝負をしていたため、よりすがすがしいさわやかな感じが広がっていました。

下級生の大会は小さい子が大きい子に勝つのもよくあり、相撲という競技がいかに奥深井ものか、子供達も学ぶことができたでしょう。

上級生になるとさすがに相撲部屋にスカウトされそうな別格の少年も出場しており、トーナメントで早い段階であたると大変だな、と思うとともに、将来、ここから大阪出身の力士が活躍してくれればとも思いました。

単純な競技ですが、熱戦も多く、双方の友達や親からエールが送られて一生懸命頑張っている姿を見たときはジーンとなり、こみあげるものがありました。

大変な仕事でしたが、そこから得られるものは非常に多く、今後もぜひ参加させていただきたい活動ですし、他人にも勧めたい活動です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧