2009年11月 4日 (水曜日)

精神の疲弊を避けるために

精神疾患対策の講義を聴いてきました。

一言でまとめれば「ためすぎないこと」

そのための方法論は

よく寝る(休む)

情報をシャットアウトする

なんとかなるさと開き直る

というのが基本です。

メール・インターネットが欠かせない世の中ですが、寝る前2時間はネットの利用をやめ、情報を制限し、脳を休めさせる。

そしてゆっくり風呂に入って体も休ませていくとよいようです。

「忙しいのだからそんなのできない」と思いがちですが、頑張ればできなことではありません。

精神的に追いつめられる前に、精神を追いつめないために、少し頑張ってみてもいいなと思いました。

次に大事なことが楽観思想。

受験戦争をはじめ、将来への不安から今を精一杯生きる、蟻とキリギリスの蟻のような生活が美徳とされています。

最初からいいかげんな考えでは成長がありませんので、これを基礎とすることは悪くないですが、これが行きすぎて「絶対に結果を出さなければならない」となると、精神の逃げ場がなくなってしまいます。

そこそこに努力はしなければなりませんが、努力していればいつか結果がついてくるだろうと、気楽に考えることが、精神を守るためにも、成功するためにもよいのではないかと思います。

いずれも、私のライフスタイルからは努力の必要なことですが、心を守る大切な活動ですので、ぜひ頑張ってみようと思います。

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2008年12月25日 (木曜日)

内田貴先生のご講義

今日は大阪弁護士会で内田貴先生の講義があると聞いて、年末の忙しい仕事そっちのけで飛んでいきました。

東大の教授を退官し、法務省で頑張っておられる内田先生ですが、相変わらず講義のキレの鋭いこと。鋭いこと。

東大で講義を聴いていたときも思いましたが、内田先生の講義は「隙がない」というか、一言一言が丁寧につながり、各論を淡々と述べているようで、その背後にある壮大な民法観が見え隠れします。

「隙がない」のは言い換えれば「よくわからん」という部分がないということ。

素人にわかりやすい講義をしながら、それでいて、普通の講義や教科書では体得できない民法学の根幹を教えていただけます。

そのようなとてつもない講義ができるのは、内田先生が、学者でありながら、実務にも外国法にも関連諸法にも造詣が深く、様々な分野で想像を絶する努力をされ、国内トップクラスの力を有しながら、それを民法という最も大事な私法の解釈の昇華しているからなのでしょう。

1つの分野でも究めることが困難な我々凡才としてはうらやましい限りですが、ただうらやましがるだけでなく、何でもいいので、興味のある分野を1つ極めてみることから始めてみよう、改めてそう感じました。

今年の公式な仕事は明日で終わりですが、来年はますます飛躍の年にすべく、今日久しぶりに内田先生のお話を聞けたことはよい経験となりました。

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2008年5月12日 (月曜日)

憲法改正論議

今日はとある憲法改正ミーティングに参加してきました。

憲法改正については様々な奥の深い難しい問題を抱えていますが、私の着目する点は、

①文言を変えて、具体的な解釈がかわるのか

②変わった解釈は果たして妥当なものか

の2点に集約されます。

基本的人権の調整について改正に必要性が叫ばれていますが、文言を変えたことで、具体的に解釈がかわるかというと疑問を持たざるをえません。

解釈が変わらないのなら、憲法改正はもちろん、改正論議をすることもあまり意味のないことになります。

また、現在の憲法は古い、という意見はもっともなのですが、新しく新設する憲法は長年にわたって指示されるものかどうかも大事な問題です。

天皇制は古いとしてこれを廃してしまえば、もう復活させることは事実上不可能になりますし、9条改正問題も、現行の9条が古いのはともかく、新しい9条として候補にあげられる条文が果たして数十年にわたって国民に支持されるものかどうかと問われれば疑問を払拭しきれないでしょう。

意見が分かれているうちは、まだまだそれは国民の大勢の支持を得るものではないということ。

憲法改正が実現するにはまだまだ議論をつめて、反対意見の消去につとめていかねばならないのだということを実感しました。

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2008年4月17日 (木曜日)

イラク自衛隊派遣違憲判決

イラクへの自衛隊の派遣が違憲だが、派遣の差し止め自体は認めないという判断が名古屋高裁でなされました。

自衛隊が武力行使したり、戦争に参加したわけではないですが、

①イラクが戦闘地域に該当し、

②戦闘地域への給油活動等は戦闘行為との結びつきが大きい

という2大柱を根拠に自衛隊は戦闘に参加しているとして違憲の判断に至ったようです。

これが最高裁が判断すれば果たして同じ判断になるかは微妙ですが、画期的な判断であることには違い有りません。

妙なのは、その後です。

申立人は、裁判には負けましたが、主たる目的たる違憲判断をもらって政治に一石を投じることができ、下手に上告して最高裁で判断が覆る不利益を考えて、これ以上の不服申し立てはしないもよう。

逆に、国は裁判には勝ちましたが、やっていることは憲法違反だとのレッテルを貼られ、裁判に勝っているため不服申し立てができず、違憲判断を無視した活動を続けることになります。

何をもって勝ち負けがきまるかは主観的な要素が強いものですが、いろいろと複雑な問題をかかえる話です。

勝訴判決をとれば事件が解決するわけではない事件はいくらでもあります。

目先の勝ち負けではなく、真の事件解決は何かを常に考えながら仕事に臨まなければならないと改めて感じます。

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2007年3月 9日 (金曜日)

被告人の規範意識の欠如と刑事弁護人の活動

最近、国選・私選を問わず、また、地裁・高裁・簡裁を問わず、刑事事件を受任することが多く、仕事の割合として大きくなっています。

刑事裁判を結果から見れば、執行猶予がつくかどうかが大きなポイントとなるでしょう。

その点では、既に再度の執行猶予2回、罰金10万円にも執行猶予を付した判決を1回もらうなど、私の担当した事件の結果は悪くないものといえそうです。

ただ、刑事弁護人の仕事の目的は軽い刑を勝ち取ることに主眼があるわけではありません。

執行猶予がつくかどうかは、弁護人の力量にかかわらず、初犯で被害弁償がされている、あるいは被害軽微であれば、執行猶予がつきますが、累犯前科が存するような場合は弁護人がどうやっても執行猶予を勝ち取るのは困難だと思います。

よく高裁の国選事件の判決を読むと、被告人の前科の存在から規範意識の欠如を指摘され、それのみをほぼ唯一絶対の情状として、実刑判決をなしたものが見られます。

弁護士といえど、人の前科を消去することはできず、このような判決に対しては、ほとんど何も有効な弁護活動はできません。

事件によってはいかに優秀な弁護士が最善の活動をしても、どうにもならない事件は多々あります。

どうにもならないから何もやらない、そういう弁護士もいるようですが、それは適切な弁護ではないと思います。

弁護人の活動は被告人に有利な判決をとるばかりではなく、被告人の更正のための手助けの方に重点が置かれるべきです。

その一環として、不適切な書証の排除や、無罪・執行猶予の主張がありますが、その真の目的は刑を軽くすることではなく、被告人の更正のためであることを念頭に置くべきです。

そう考えると、規範意識の欠如を唯一の情状とした事件においては、刑事弁護人の活動は控訴趣意書の作成よりも、被告人への説教や被害回復、更正環境の確保(出所後の就職先の確保、親族との連携など)にあると思います。

国選弁護の報酬は結論によって影響を受けない決まりになっており、一部の弁護士からは不満の声も出ていますが、以上のように考えると至極当然の気がします。

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2007年2月20日 (火曜日)

ガリ勉な一日

司法試験に合格しても、知ってる法律の知識は氷山の一角にすぎません。

いろんなかたちを通じて日々勉強を重ねていかなければなりません。

そんな今日はまさにガリ勉な一日でした。

朝は、メールを通じて受けた相談について文献調査。

昼は、弁護士会の事件紹介で、なぜか法律の解釈について教えてほしいという相談案件が舞い込み、必死でネット検索してこなしました。

弁護士といえば何でも知っていると思っているのか、また、相談時間を節約したいのか、事案の説明も早口で、前提論はあたりまえのように話を進め、いきなり難しい法律論に質問を投げ掛けてくる人で大変でした。

司法試験や実務の仕事の中で勉強していない法律についてスラスラと答えられる弁護士なんかいません。

しかし、現実にそのような期待のもとに事件紹介でまわって来た方なので、できる限りその期待に応えるべく努力はしなければなりません。

なんとか会話をつなぐ合間にネット検索でニアミスなページを探し、納得してもらえる答えにたどりつきましたが、このような状態ではこちらが相談料をもらうのではなく、むしろ、私が受講料を支払わなければならないのではないかと感じました。

夜は、弁護士会の後援会で元最高裁判事の滝井繁男先生らによる行政事件訴訟法等の最新裁判例の傾向と、行政事件への取り組み方のヒントを教えていただきました。

行政法は条文は少ないながら、非常に奥は深く、口頭で解釈論や手続を話す程度であれば、大学の単位取得レベルの学力でなんとかなりそうですが、いざ事件をこなすようになるには、相当経験が必要そうです。

紹介された最高裁判例に、同期の知り合いの弁護士が何人いるのを見て、自分もこんな大事件にたずさわりたいとの思いを改めて感じました。

弁護士業は事件処理だけでも、机上の学問だけでもこなせず、両者をバランスよくとりいれていく必要がありそうです。

大事件にたずさわる前に、もっと基礎的なところからしっかり磨き上げようと感じた一日でした。

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2006年12月 5日 (火曜日)

You Tube の問題点

日本音楽著作権協会(JASRAC)など23の著作権関係権利者団体・事業者は5日、米国の動画投稿サイト「YouTube(ユーチューブ)」に対し、著作権侵害の予防策を講じるよう要請したと発表しました。

15日までに具体策を回答するよう求めています。

 23団体は今年10月、YouTubeが著作権許諾のないテレビ番組や映画などの投稿画像を掲載していたとして、ファイル約3万件を削除させました。

しかし、その後も違法な投稿が続いたことから、対策強化を求めることとなりました。

対策例として(1)違法な投稿は民事・刑事責任を問われることがあると日本語で警告表示する(2)投稿者に氏名・住所を登録させる(3)過去に違法な投稿をした人の登録を無効にする――を挙げました。

You Tubeについてはこのブログにも時々トラックバックが貼り付けられますが、著作権上非常に問題があると感じていました。

2ちゃんねるでの投稿は名誉権や肖像権といった明文化されていない権利が問題とされるため、容易に裁判にはなりにくい事件が多いですが、動画などを転用するのは明らかに著作権に抵触します。

テレビ局からしてみれば、ネット技術の革新とともに、視聴率や収益をかつての水準で確保していくことがなかなか困難になり、新作映像の再利用でようやく収益の目処がたつ番組も多いと思います。

それを簡単にネットに流されてはたまったもんじゃありません。

You Tube利用者の側からすれば新作でない映像はいくら再利用してもかまわないという考えなのかもしれませんが、映像データやゲーム・書籍などの無断再利用は今後著作権上大きな問題になってくると思います。

既に中古ゲーム再販売の裁判もいろいろありましたし。

ネットを利用した新規事業には様々な形態があり、新規開拓の道はいろいろありますが、そういうイケイケドンドンのベンチャー企業もしっかりとした顧問弁護士をつけて、冷静に事業開発を行っていくべきではないかと感じさせる事件です。

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2006年10月12日 (木曜日)

判例を変えられるのは最高裁

最高裁で、下級審が言い渡した実刑判決を破棄し、執行猶予を付した判決がありました。

最高裁が量刑不当の主張を採用することは珍しく、実刑判決を執行猶予に変えたのは16年ぶりとのことです。

最高裁は下級審の判断を変えないというのが通説で、一般論としてはそれが正しいのですが、時折こういうドラスティックな変更判決が出ます。

刑事裁判の量刑は、平等主義・客観主義の観点から裁判例に則って決められます。

それゆえ、裁判官の主観において執行猶予にすべきと考えても、裁判例が実刑の方針であれば、裁判例に従って実刑判決となる公算が高いです。

「個人的には猶予にしたいけど、裁判例の傾向をふまえれば実刑にせざるをえない」という合議が裁判官室でなされている可能性も十分にあります。

このように判例主義で一般人の常識的感覚に明らかに反する下級審判例が現れた際、上級審で変更される可能性が増えていきます。

ただ、判例主義のもとでは、いきなり自分の主観を信じて大幅な変更を加えては、当該裁判官の首が危険な状態になります。

それゆえ、古い裁判例を変更できるのは最高裁のみであるとも言いうると思います。

弁護士は依頼者への説明義務がありますので、最高裁まで争うメリットはあまりなく、費用倒れになる可能性もあると、説明する必要があります。

しかし、それは必ずしも最高裁への上告が無意味であるとの説明ではなく、今回の件のように変更に成功する場面もあるということをふまえ、どの程度の確率で上告が認められるかを見極める力えおつけ、依頼者の権利を最大限に実現していかないといけないと強く感じました。

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2006年10月 7日 (土曜日)

飲酒規制の今後

福岡のとある高校で、運動会の打ち上げと称して居酒屋で飲酒したとして151人もの生徒が一斉停学になった事件がありました。

中には酒自体は飲まず、参加しただけで停学になった人も少なくないようです。

最近の飲酒運転問題もあり、今後飲酒についても規制が法律上も運用上も厳しくなるのかと、予測される事件です。

自分にとっては愉快でも他者に迷惑をかけるような行為は社会上許されません。

覚せい剤使用は自己加害・他者加害ともに影響力が大きいため、法律上厳しく取り締まられます。

飲酒や喫煙は、自己加害・他者加害ともに相当程度ありますので、様々なかたちで規制はありますが、これを全面的に禁止してしまうとおそらく憲法違反となり、時と場合を厳選して、規制がすすめられることになると思います。

自己加害の点からいずれにせよ未成年者には全面的に禁止されることは今後も変わらないと思いますが、成人に対しては自己責任ということで、もっぱら他者加害の観点から規制の是非が検討されます。

煙草は周囲の人間に対する配慮という観点から、近時使用できる時間と場所を制限する運用がすすんでいます。

飲酒による事件が相次ぐと、今度は酒に対しても様々な規制がすすんでいくのだろうかと思うと寂しいです。

飲酒は楽しい行為ですが、様々な弊害があるため、自分だけでなく周囲の人物を気にしながらうまくこれとつきあっていけるか、いけないならば法律で一律に規制されるという話になるのでしょう。

酒も人間関係もなかなかつきあいかたが難しいです。

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2006年9月30日 (土曜日)

スポーツ選手の表現の自由

HPやブログの普及によって、スポーツ選手や芸能人といった、これまで報道される情報しか得ることの出来なかった有名人の本音に身近に触れることができるようになりました。

しかし、スポーツ選手のブログの内容について、最近問題がしばしば起きているようです。

プロ野球に限っても、桑田選手の移籍発言や、金村選手の監督批判など、選手と球団の間で問題となるケースもあるますし、元サッカー選手の中田英寿選手のHPに対する苛烈な批判など、選手とファンの間でトラブルになるケースもあります。

本来、誰であっても表現の自由は保障されるはずですが、公人の場合、社会への影響がありますので、表現の自由が私人間で制限されることが多くなります。

かくいう私も、立場上様々な問題を抱えますので、自分の携わっている案件の内容については一切ここではふれないようにしています。

まだ弁護士であるため、それほど厳しい制限にはならない感じですが、これが修習生や裁判官であれば、仕事内容自体一切書けないことになるでしょう。

スポーツ選手の本音にファンは触れたいですし、選手も本音を書き込みたいと思うでしょうが、社会の中に生きる者として、それを自制すべきというのはなかなか難しいものです。

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2006年9月21日 (木曜日)

意外と身近な憲法違反

司法試験の勉強を初めて最初に言われることは、「憲法は全ての法律の基本だから重要でしっかり勉強しなさい」ということです。

修習生になって、さらには実務について最初に衝撃を受けることは上記の説示に「話が違うぞ!」と言いたいことです。

現に、地裁・高裁レベルの裁判で憲法を持ち出すことはほとんどなく、上告理由として頭をひねって絞り出す知識としてしか未だ活躍の場がありません。

しかし、今日のニュースを見ていると、憲法違反は意外に身近にあるものなのかもしれません。

朝刊には、「会社の許可なしに法律相談に行ってはならない」との内規は裁判を受ける権利を奪うものだとして訴訟提起がなされたニュースがのっていました。

また、君が代斉唱の際に起立を強制することが思想良心の自由を害するとして損害賠償を認容した地裁判決の報道を目にしました。

私人間の問題で安易に憲法を持ち出しては社会は円滑に動きませんが、一体性・統率の確保の名のもとに相当に厳しい規約を作れば、憲法違反になるというのはもっともな話です。

憲法違反の認められる事案は確率的には低いですが、事案数としては決して少なくなく、泣き寝入りしているケースも少なくない気がします。

そうした事案を見逃さない眼力もこれからの弁護士にはより一層求められてくるのかもしれません。

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2006年8月31日 (木曜日)

体重差50キロの人同志で柔道の練習をさせたら過失責任

体重70キロの生徒と体重120キロの生徒が柔道の練習を行い、前者が死亡した事件で、対戦相手を限定しなかった教師の過失責任が認められました。

体重70キロの生徒がどのような体格だったかわかりませんが、私が73キロでそれほどひょろひょろガリガリでないことから推測すると、特にひ弱な生徒ではなかったのではないかと推測されます。

過失責任は結果の発生が予見できる場合に、それを回避する措置を講じろという責任で、確かに120キロの生徒は巨漢で強そうですが、特段ひ弱ではなかった生徒を保護しろというのは、以上の事実だけからはやや酷な感じがします。

今回、過失責任が認定されたのはこれにいくつかの事情がつみかさなった結果だと思います。

おそらく田舎の部員数の少ない柔道部だと練習相手を調整などといってられませんので過失責任は認められなかったと思います(回避可能性の欠如)。

次に、120キロの生徒は相手にのしかかる癖があたようで、体格差のある相手だと重大な結果が発生する可能性が否定できないという点が斟酌されたようです(結果発生の予見可能性)

過失責任がきわどい判決になることは再三記事にしてきましたが、判決を聞く当事者も、判決を書く裁判官も、判決を受けて対応を迫られる自治体やその他の団体も、大変だと思います。

事故の存在は偶然のめぐりあわせだと思いますので、完全に防ぐことはできないかもしれませんが、できる限り悲惨な事故が発生しないよう日頃から努め、できる限り偶然不幸せになる人が減ることを心より祈ります。

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2006年8月30日 (水曜日)

自白ってとっても厄介な代物

捜査段階で自白したものの、公判では否認し、自白調書の証拠能力及び証明力を争う事件は決して希な事件ではありません。

この場合、なぜ一旦自白したか、供述経過の自然性や合理性、さらには客観証拠との齟齬の有無・程度を詳細に検討する必要があり、大変骨が折れるものになります。

人は自分に不利益なことはいうはずがないという経験則から、一度自白すれば、有罪の心証が一気に高まってしまいます。

否認事件はもともとやることは非常に多いのですが、自白調書の有無により仕事量は全然変わってきます。

そういうわけで、否認事件を担当する際は、自白調書がないことを常に心の中で祈っています。

しかし、近時話題が再燃したジョンベネちゃん殺害事件のカー容疑者はおそらくやってもいない事件について自白し、証拠不十分で釈放されました。

自白内容と矛盾する客観証拠が存在し、自白の信用性を維持できないと判断されたからです。

証拠構造から言えば、自白は直接証拠で、死体の存在や状況・DNA鑑定結果・アリバイの有無などは、自白の信用性を判断するための間接的な役割しか果たしません。

このような証拠構造からは、間接的な証拠よりも自白の方がはるかに重要で、研修所の起案でも自白の検討に多く配点がふられていると言われますが、今回のジョンベネ事件の顛末を見ていると、やはり重要なのは自白よりも、動かし難い客観的な証拠であることがよくわかります。

これから始まる裁判員制度において、より裁判員にわかりやすい裁判を進めるためにも、捜査機関は自白の有無にかかわらず、できる限り詳細かつ多岐にわたった客観証拠を集める必要があるでしょう。

それを怠ったジョンベネ事件の捜査機関は批判を免れないでしょうし、日本でもこのようなことのないよう、捜査の充実を期待します。

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2006年8月28日 (月曜日)

残業手当とモラルハザード

厚生労働省は、労働法制の抜本的解決のために、〈1〉年収が一定水準以上の人の残業については、割増賃金の適用除外とする自律的労働時間制度の導入〈2〉月30時間を超える残業に対する割増賃金の最低基準を現行の25%から50%に引き上げる、という案をまとめました。

これに対し労働者側は「長時間労働を助長する」として〈1〉に反発。経営者側も〈2〉に対し、「必要のない残業がかえって増える」などと批判しています。

日本人は勤勉だと言われますが、勤勉な人を救うために労働法は必要ですが、怠け者にとっては企業の甘い蜜を吸うおいしい素材となっています。

同じオフィスで同期で入社し、同じ仕事を与えられても、そのこなしかたは十人十色でしょう。

黙々と仕事にとりくみ、要領よく次々と仕事をこなしていく真面目な人、友人や異性としゃべってばっかりで、就業間近になって慌てるお調子者、いろいろいますが、前者がその要領の良さをかわれて他人より多く仕事がまわされて残業になるのであれば、残業手当は必要でしょうし、後者のように規定の時間に規定の仕事をせず、しゃべってばっかりで他の人の仕事を邪魔し、あわてて残業して取り繕う人に残業手当は必要ありません。

良く仕事ができて頼りになる人が搾取され、仕事熱心でない人が救われるのは非常に不当です。

人の能力や仕事のやり方は様々ですから、単純に就労時間だけで妥当な法制度を完備するのは難しい気がします。

さらには、妥当な法制度を考えるにあたって最大の障害となっているのがモラルハザードであることもまた問題を難しくしています。

生活費を稼ぐためにやむなく働くというのではこういう労使の不毛な駆け引きにならざるをえない感じがします。

仕事は自分から望んでしたいと思えるものに就くことこそ大事であると改めて感じさせられます。

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2006年8月24日 (木曜日)

髪は女の命

美容院で意思に反して髪を短くされたせいで、顧客が減ったとして慰謝料などを請求していたキャバクラ嬢の事件の控訴審判決がありました。

請求認容の根拠まではわかりませんが、24万円の請求認容とのことです。

これが慰謝料か逸失利益かによって話は大きく変わってきますが、美容院が顧客の髪を切る行為に不法行為性を認めたのは新鮮な感じがします。

髪は女の命だからこそ、違法性が認められたのではないか、同様の男性の事案では請求は棄却されたのではないかと憶測は広がります。

離婚請求訴訟において、裁判所は女性に甘すぎるのではないかという話はしばしば耳にします。

確かに判決主文上は女性に有利な判決が多いような感じは私も時々感じますが、現実の執行可能性などを考えると、必ずしも女性ばかり有利だとは感じません。

むしろ、今日の判決のように女性の繊細デリケートな性格を、裁判所が良くくみ取っていると感じることもあります。

女性が男性に対し、金を求めるか愛を求めるかについては、建前論においても、本音においても大きな対立のあるところだと思いますが、裁判においては、本気で金を求めた者のみが最終的に救われる現状となっている気がします。

格差拡大の中でできる男とできない男、稼げる男と稼げない男の格差が広がっていますが、それを前提としたうえで、男は女性に対する接し方に、女は男性の選び方に注意しないと痛い目にあうことを示している事件ではないかと感じます。

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2006年8月21日 (月曜日)

再度の執行猶予の要件

執行猶予中に犯罪を犯したらどんなに軽い罪でも、執行猶予が取り消され、実刑判決になる。

執行猶予の判決を言い渡す際、裁判官が必ず被告人に説示することで、おそらくほとんどの人の間で常識同然の事情をなっていると思います。

それは法曹にとっても同じで、刑事裁判修習の際「再度の執行猶予なんてよほどの事情がない限りつけるものでない」と指導されます。

刑法の条文によれば、再度の執行猶予は①1年以下の懲役または禁固の言い渡しを受け、②情状に特に酌量すべき点があるとき、につけることができますが、この「特に」を厳しく解釈するのが刑事裁判実務だと教えられました。

しかし、いざ実務について見ると、私が国選弁護であたった被告人で再度の執行猶予を主張した事案は複数ありますが、全て再度の執行猶予をもらえています。

私が教わったことは間違いだったのか・・

思うに、1年以下の懲役や禁固が「求刑」されるのは相当に軽微な事案であるといえます。

そうであれば、そもそも情状の中で最も重大な事案の性質から既に相当に有利な状況でスタートしているといえます。

同種事案を繰り返したら規範意識の鈍磨著しいの一言で執行猶予の主張は排斥されますが、そうでなければ、住居・職を定め、身元引受人を用意して反省の弁を述べれば、そのほかに特段に不利な情状のない限り、「情状に特に酌量すべきものがある」といえることになるのかもしれません。

国選弁護を受任して、まず起訴状を読み、事案があまりひどくないから執行猶予がとれるかなと思って、記録を閲覧したら執行猶予中の犯罪で愕然とする、そういった経験を何度かしましたが、軽微な事件には相応の判断を、全刑の有無「だけ」で大きく差別すべきではないと考えれば、当然の結論かもしれません。

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2006年7月28日 (金曜日)

監督責任の及ぶ範囲

埼玉県坂戸市で2001年、飲酒運転の車にはねられ死亡した大学生の遺族が加害者の男のほか、一緒に飲酒した同僚の男性、飲酒運転を知っていた妻らに計約8100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は28日、男と同僚、車所有者の元勤務先に計5800万円の支払いを命じました。

判決の理由で、同僚の男性らは、加害者が強度の酩酊状態にあることを知り、車で帰宅することを予見できたにもかかわらず、加害者が飲酒運転をするのを止める手段を講じなかったとして責任を認め、妻には、加害行為をとめる機会がなかったとして責任がないと判断しました。

これまで、飲酒運転の同乗者に責任を認めた裁判例はありますが、一緒に酒を飲んだ人に責任を認めた裁判例ははじめてではないかと思います。

酒乱とはおちおち酒を飲めないということでしょうか?

同じく今日、体罰教師に十分な指導を与えなかったとして、市の責任が肯定された裁判もありました。

このように、直接の加害者ではないのに、加害者を十分に監督しなかったとして責任を負わされることがありますが、その範囲については、裁判例の集積により、ある程度一般人にもわかるようになってほしいと感じます。

普通、「ヤバイ人」にどこまで注意すべきかなんて考えて行動していませんし、それを考えながら行動するなんて不可能です。

今日の裁判例で言えば、酒乱と酒の席に同席してもダメなのか、隣の席に座ったらダメなのか、当日初めて会った人ならいいのか、など疑問・不安はいろいろと浮かび上がります。

同僚が酒に酔って帰ろうと、飲酒運転で検挙されようとその人の勝手、俺たちは知らねーよ、と、酒で盛り上がった後はどうしても考えてしまいがちですが、同僚など親しい仲であるからこそ、注意しなさい、という訓辞的な判決に感じます。

親しき仲にも礼儀あり、周りの親しい人にも法令遵守を求める姿勢が必要だと改めて考えさせる事件です(あまりやりすぎるとうざがられますが・・・)

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2006年7月25日 (火曜日)

放送文化の進歩と著作権

iPod、地デジ、ワンセグ、動画配信。

最近の放送文化の進歩はめざましいです。

こういった文化の進歩のおかげで我々は人間に生まれた喜びをかみしめ、幸せな生活を送ることができます。

しかし、文化が豊かになればいかにそれにただ乗りするか、安くその恩恵を受けるかを考える輩があとを絶ちません。

折角の大発明もただ乗りされてしまうようであれば、さらなる文化の進歩は望めなくなります。

今日は、そうした文化の保護のための法律、著作権法の最新の問題点の勉強会に参加してきました。

iPodについては、私的録音録画補償金が、機器や媒体の代金とあわせて支払われますが、IPodを使用したデータの移動方法は多岐にわたるため、この補償金をめぐって、二重徴収等、様々な問題が生じます。

また、ホリエモンが提唱し続けた通信と放送の融合ということに関しても、様々な難しい問題を抱えています。

テレビ放送に関しては、電波の有限性や、視聴者への影響の直接性などから、様々な規制が加えられますが、IPマルチキャスト放送と呼ばれる、インターネットを介した放送では、通常の放送とは異なる要素が多々あり、同列には扱えない、しかし、同種の放送である以上、できるかぎり平等に取り扱うべきという要請もある。

そうした中で、適切な規制、著作権の保護内容はどのようなものか、検討に検討を重ねられています。

また、著作権の不正利用が巨額の利益につながる可能性も増え、悪質な侵害行為も増えていることなどから、罰則の強化や、輸出に対する措置についても検討が加えられるとともに、著作物の目的に沿った利用の場合には、権利が及ばないとする例外領域について、逆に広げようとする動きもあります。

文化の進歩とともに、法が複雑化し、我々は大変参っていますが、同時にやりがいのある仕事でもあります。

前向きに頑張っていきたいと思います。

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2006年7月21日 (金曜日)

民事裁判の刑事裁判化

刑事裁判で被害者保護のために利用されている、証人尋問におけるビデオリンク方式ですが、この度民事裁判においても採用される方向性で民事訴訟法の改正が検討されているようです。

思えば、性犯罪などで、刑事裁判でなんとかプライバシーや二次被害を避けることができたのに、肝心の民事裁判において、これが守られなければ意味はありませんので、当然の流れだと思います。

私も実務修習中に、強姦被害者による損害賠償請求事件で、原告代理人が、裁判官・書記官と打合せを重ね、なんとか現行法の範囲内で被害者保護をはかろうとするのは当然の流れだと思います。

刑事裁判は、「被害者が参加できない」と批判の多いところですが、このような批判にさらされているからこそ、民事裁判よりは、被害者保護の制度が先行して整備されたのだと思います。

昨日、電話会議システムはあくまで例外的な措置であるとの記事を書きましたが、全期日出席必須の刑事裁判に、民事裁判が近づいているとの見方もできるかもしれません。

弁護士から見れば

民事裁判→いろいろと融通がきく

刑事裁判→厳格でいろいろとしんどい

という印象をもっている人が多いと思いますが、裁判の本質と、国民への信頼確保の観点から、裁判の原則型により近い、刑事裁判型の裁判への回帰がすすんでいるのかもしれません。

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2006年7月19日 (水曜日)

過失犯は難しい

パロマ事件で過失犯の諸問題が話題となっています。

過失がどういうものであるかは、多くの人がほぼ共通した認識を有していますが、いざ言葉にしてみると非常に難解です。

学説で有力なのは、結果発生の予見可能性と結果の回避可能性があることを前提に、この予見義務と結果回避義務に違反して結果を発生させること、という定義です。

スピード違反の交通事故を例に考えると、車の運転手は道路上の危険を予見し、他人に危害を与えてはいけないという義務があり、スピード違反をすれば車の急制動が難しく、他人を死傷させてしまうかもしれないと予見できるにもかかわらず、結果を発生させてしまったとして、業務上過失致死傷罪に該当することとなります。

上記の定義からは、到底予見できないようなところから被害者が突然現れたり、法令を守っていても結果が発生したような場合には罪となりません。

今回のパロマ事件では、当初事故の原因がユーザーの不正改造と認識されていましたので、ユーザーがそのような不適切な取扱をすることまでは面倒みてられない、予見可能性はないとして、無罪となりそうでしたが、機械の老朽化も原因と判明したため、この場合、パロマの過失は認められると思います。

被害者側としては、事故の原因が(他人の)不正改造か、機械の老朽化かで差別されるのは不満でしょうが、現行法ではこのように解釈するしかないと考えられます。

明石の砂浜陥没事故の裁判では、50メートル脇で過去に陥没の発生が認識されていたのに、陥没対策の措置をとらなかったことが義務違反を構成するかが争点となり、陥没発生のメカニズムのランダム性から、結果を予見し、措置を講じる義務まではないとして無罪が言い渡されました。

このように過失の認定は非常に困難であり、捜査も大変だと思います。

本日は実況見分が行われたようですが、まさか、有毒ガスを再発生させはしないでしょうし、どのように見分したのか少し興味があります。

ここで、もう一つ問題となったのは公訴時効の壁です。

ようやくパロマ事故のメカニズムが判明したと思ったら公訴時効にかかり、立件可能な事件は1件のみというのも不合理な気がします。

過失犯は難しいが、比較的軽微な犯罪ということで、大切だが事務的な戸籍取扱事務について昨日書いたのと同じような問題が生じえます。

今回のパロマ事件のような大型複雑過失事件の公訴時効については再考を要するのではないかと感じます。

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2006年7月11日 (火曜日)

今さらながら、他人の電子メールののぞき見は犯罪です。

サッカーワールドカップ決勝で一躍時の(渦中の?)人となったマテラッツィ選手。

彼がジダンに何を言ったかは、まだ明かされていませんが、様々な憶測が飛び交っています。

それはあくまで憶測にすぎませんので、それをしったかぶりに話をする人の言葉を信じてはいけませんが、近日中には明らかにされるとのことで、要注目です。

ところで、そんな不安な憶測にかられてつい行ってしまった行為が有罪となるという事件がありました。

夫の浮気を疑った妻が、浮気相手の電子メールの情報にアクセスして、これを覗き見た行為が不正アクセス防止法違反等に該当するとの報道です。

メールの盗み見はいけないことであることは、誰もが理解していることだと思いますし、こういう誰もが認める悪を犯罪化するのは極めて当然なことです。

浮気の証拠収集のために、メールを覗きみたいという気持ちはわかりますが、それがタブーであることは2月半ばにもこのブログで書いたことです。

ただ、悪い行為ではありながら、そういうやむをえない面もあり、一部では常態化しているところもあることから、単なるモラル違反に留まり、刑事罰は構成しないのでは?と私は考えていましたが、上記のような形態だとやはり不正アクセス防止法に該当するようです。

知りたい欲求、そして、ちょっと手を伸ばせば、それが手に入る、そういう時、ついやってしまいがちな行為かもしれませんが、れっきとした犯罪ですので、心を鬼にして止める必要があるでしょう。

マテラッツィ事件の真相も、今世界中のメディアがあらゆる手段を講じて明らかにしようと頑張っているところですが、抜け駆けして、違法な手段を用いると罰が下されるでしょう。

情報欲もほどほどに、ということでしょうか。

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2006年6月28日 (水曜日)

改正介護保険法と障害者自立支援法

今日は弁護士会で上記2法の概略を勉強してきました。

細かい話はなしにして、抽象論として、これらの法案が目指しているものは

・サービス内容の充実

・負担の軽減

・負担の公平

・関連機関の業務の分担の適正

であるように感じました。

高齢化社会が進行し、これからベビーブーム世代が高齢者としてサービスを必要とする状況においては、これらの法律の充実は必要不可欠なものとなってきます。

今日の勉強会では、これらの法の内容、そして、昔に比べて格段に改善されたこと、まだまだ問題点は山積みであることを学びました。

我々弁護士の立場からは、これらの法律の内容・問題点を的確に把握し、依頼者らに少しでも充実したサービスが受けられるようアドバイスできることが大事だと感じました。

ところで、介護業務は①家族②行政機関③介護施設の3者が主として役割分担して、要介護者を介護しますが、役割分担による弱者の救済という点はほかの場面でも同じだと感じます(障害者自立支援法の問題点の一つとして、介護保険法の理屈をそのまま転用したから、身体障害者に対するケアは比較的厚いが、知的障害者らに対するケアはまだまだこれから検討されなければならない状態だと聞いたばかりですが(^^;))

近時問題となっている少年の凶悪犯罪についても、①少年と接する機会の最も多い家族・保護者会等②立法・司法で介入する行政機関・裁判所③現場で少年の育成を援助する学校・鑑別所等、の適切な役割分担の模索が大事だと思います。

そうなると、理想的な活動のためには結局、自分も大事な役割を担う主体であり、他に責任を転嫁しないということだと思います。

各自が責任を自覚し、これを転嫁しないで充実した社会生活が送れればと、切望した一日でした。

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2006年6月25日 (日曜日)

責任の取り方

「俺が全部責任を持つから安心しろ」男が仕事や恋愛関係において、部下や恋人に言いたい言葉です。

きちんと責任を持てるかは、男の能力やキャパシティーに依る部分が大きいですが、責任の取り方にも色々あるのではと思います。

責任を取る一つの方法として、言葉があります。

何か間違ったことをした場合、過去の失敗に対する反省、もう同じ過ちをしない・被害を回復するという誓約の言葉は最低限必要な言葉です。

刑事弁護においても、自白事件においては、被告人に反省文の提出を勧め、法廷でも具体的な反省の言葉を述べるよう勧める弁護人は多いです。

これは間違ったことをした人間として最低限の行為だと思います。

しかし、これだけでは責任を果たしたとは言えません。

言葉の内容をどれだけ実現できるかこそ、本当に責任を果たしたかどうか評価すべきところだと思います。

ところが、従前の裁判では、「被害弁償する」という反省の言葉はあっても、実際の被害弁償がうやむやにされるケースが多かったです。

そこで、現在法務省で審議中の「付帯私訴」の制度は、被告人の責任を果たす制度として、非常に有用ではないかと期待しています。

付帯私訴とは、刑事裁判の中で、その証拠を利用して、損害賠償額の認定の裁判も一緒に行ってしまおうという制度です。

これによって、被告人には、刑事・民事両面の責任を同一の裁判手続において、迅速に認定することが可能となります。

これまで、裁判官の前で巧言を並べ立て、誠意の乏しい被告人が相当数いましたが、この制度が実現すれば、その被告人のとりうる責任がより明白にされ、より適切な刑事裁判も実現するかもしれません。

責任の取り方は恋愛関係においてもかわらないかもしれません。

男が女に対して、不愉快な思いをさせてしまった、この場合、経緯はどうあれ、男はまず言い訳や反論をせずに、誠実に謝るべきだと思います。

謝っただけで関係を修復できれば、それにこしたことはありませんが、それでも関係を修復できない場合、男の側から関係を修復すべく現実の行動に出る必要があるでしょう。

女性側は不愉快な思いをさせられたことに対する不信感を抱いています。この不信感を解消すべく、特別のプレゼントをするなり、心をこめたメールを送信するなり、具体的な関係回復の手段を講じる必要があると思います。

何でそこまで・・と思いたくなりますが、相手が本当に大切な存在ならそんな努力など造作もないことですし、本当にそんな努力をする気も起こらないなら、相手のことをそんなに大切に思っていないことを示す大きな事情ではないでしょうか?

恋愛関係はどうしても、男の側からの申し出で始まることが多いですし、男の側に余裕・キャパシティーが大きい場合が多いので、多少のことがあっても、男が大切な女性を支えていくという意識が大事だと思います。

ところで、責任の取り方について、一昨日、最高裁が憲法判断を回避するのは、「最高裁判所裁判例」の権威にふさわしい裁判例にすべくその判断対象・内容を十二分に吟味した結果で、責任を回避しようとした行動ではないという記事を書きました。

恋愛関係においても、男の立場において、大切な女性のために責任を持つために、あえて腰を引く場面もあります。

お金に余裕がない場合には、あまり高級なお店や買い物には誘わない。

体力に余裕がない場合にはドライブや遠方のデートやホテルには誘わない。

感想が明らかに対立しそうな映画には誘わない。

総合的に力不足だと感じた場合には、いくら愛していてもプロポーズしない。

いろんな形があると思いますし、無理してよりひどい結果を生むよりはよっぽど責任をとった判断だと思います。

女性の側から見れば、不満かもしれませんが、女性にぬか喜びをさせて、より残酷な結果を招かないためにも、多少の不満をかっても、引くべきところはひくこともまた、大事な責任の取り方だと思います。

社会生活においてはもちろん、仕事においても、恋愛においても、責任をとれないような関係は持つべきではないですし、逆に自分がこれぞと思った仕事や恋人に対しては、とるべき責任はきっちりととるべきだと思います。

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2006年6月23日 (金曜日)

損害なき不法行為

今日は朝早くからテレビに向い、仕事にならなかった人も多いのではないでしょうか?

サッカー日本代表の選手達は精一杯頑張ったので、不法行為ではないですが、敗戦による痛手は甚大のようです。

さしずめ、タイトルに反して、損害を産みし適法行為でしょうか。

それはさておき、本日最高裁において、小泉首相の靖国参拝行為が政教分離原則に反して違法であるとして、不法行為に基づく損害賠償請求の上告審判決がありました。

内容は、予想されていたとおり、損害がないとして損害賠償請求を棄却し、政教分離であるかどうかの憲法判断は回避しました。

不法行為は、我々に最も身近な法律概念ですが、違法性・因果関係・損害のいずれも非常に難解な概念ですので、我々も非常に手を焼く類型の事件です。

明らかな違法行為があり、依頼者はカンカンに怒っているが、損害を主張・立証しきれないため、勝訴できない事件は時々みかけます。

本件は、原告らの最大の目的は行為の違法性を裁判所に判断してもらうことだったのでしょうが、最高裁はその点については判断を回避し、確実に切れる請求原因事実の欠如のみをもって、結論を出しました。

行為が違法であろうが、なかろうが、どうせ損害がないから余計な判断はしないという裁判所ならではの判断です。

このような判断を見て「裁判所は無責任だ」と感じる方もあるかと思いますが、実態はむしろ逆で、裁判所の判断には最大限の責任を伴うものであるから、その責任を負うに足る部分について十分に精査のうえ判断を出すべきだ、すなわち、裁判所がその判断責任の重大性を十分に認識し、そのためになすべきことを十分に取捨選択してこのような判断になっていると私は考えます。

仮に全く同じ事実関係の事件があって、一方の事件の当事者は双方ともあまり争わないが、他方の事件の当事者は徹底的にしつこく争っている、という場合、前者の判決は薄い、通り一遍の事しか書かれないものとなるでしょうが、後者の判決は様々な可能性を考慮した、重厚なものになります。

これは、当事者が不満を持ち、激しく争っていればいるこそ、裁判所の判断を丁寧に説明し、なんとかその当事者に納得してもらわないといけない、という裁判所の責任に基づく対応といえます。

先日の光市の事件についても、最高裁は、できることなら、少年事件の死刑の限界論についての判断は責任をもって行いたくはないと考えていたと思われ、被害者の遺族があれほどまでに強く争わなければ、通り一遍の判決で、控訴棄却していた可能性があります。

しかし、被害者の遺族の断固たる決意に基づく徹底抗戦に最高裁が動かされ、あのように相当に踏み込んだ判決となりました。

靖国参拝が適法か違法かは未確定ですが、この件も含め、世の中の不条理を主張する人は、いきなり裁判所に訴え出るよりは、まずは自分の主張を広く世間に広めて共感をもらい、大きな世論を従えて、最高裁に判断を求める方法が最も近道とと言えるかもしれません。

もっとも、首相の交替により、靖国参拝と政教分離については、論じる利益もなくなってしまうかもしれませんが。

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2006年6月16日 (金曜日)

会社法改正の会計・税務への影響

本日は金曜日ながら、弁護士会主催の会計学勉強会に参加してきました。

会社法大改正の内容をしっかりとおさえておく必要があることは先日の記事でも書いたことですが、顧問先の企業の応対において、計算書類に関するアドバイス等も必要となる場合もあることから、会計の知識も必要な場合がしばしばあります。

そういうわけで、専門家である会計士の先生のご教授を仰ぐべく勉強会への参加と相成りました。

計算書類規則は、私が司法試験の論文試験の勉強をしていた、もう5年ほど前に、商法の一環として少しだけかじった記憶がありましたが、商事実務について、この規則の重要性を改めて痛感させられる講義でした。

商事に関する情報は、インターネットで適切なキーワードを放り込んで検索すれば出てくることが多いので、ついつい横着して読書を怠りがちですが、顧問先からの電話相談を受けてすぐに出るべき回答は出るようにしておかなければなりませんし、なかなか大変です。

ところで、本題の会計と税務について、会計は法律(会社法)と連動していますし、利益処分案が株主資本等変動計算書になったり、勘定項目に多少が変化があるだけのようですので、それほど対応に苦慮はしないのかな、という印象を受けました。

他方、税務は相当ややこしそうな感じです。

司法試験に合格し、弁護士登録して、会計士はできませんが、税理士登録はできる状態にありますが、税務の方が圧倒的に難しい気がします。

今回の会社法改正によって、合同会社やLLP、キャッシュアウトマージャーや三角合併の概念が現れたことは既に勉強済みでしたが、これに税務がからむともう何がなんだか・・

しかし、会社法を中心に、会計も税務も程度の差こそあれ連動しているものですので、全体として理解しておかないとプロとして良くないと感じます。

大変ですが、こういう勉強会等の機会を大事にして、少しずつ理解を深めていきたいと思います。

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2006年6月15日 (木曜日)

商事実務の主役は誰か?

今年、大改正がなされた会社法が、施行されました。

従来の堅苦しい制度を一新し、柔軟性のある便利な制度を増やしたうえ、株主の地位に配慮した法改正でした。

これに先立ち、昨年2月には、電子公告制度について、法改正がなされ、インターネットを通じた商法上の公告ができるようになりました。

これも、企業の職務の簡便化、迅速化を見越したものでしたが、この制度を利用したカネボウが大きな問題を抱えることになったようです。

カネボウが営業譲渡の公告をインターネットを通じて行ったわけですが、インターネットを見る機会のなかった株主約500人が、「反対の機会を奪われた」として、反対運動の気運を高めているようです。

今回、このような問題が生じた原因の一つに、株式会社の運営の主役は誰かという問題があります。

現実に経営を行う者、あるいは現実に会社を動かす従業員を主役と考えれば、その職務はできる限り自由であるべきであり、自由に迅速に職務を行える体制が適切といえます。

他方、出資者である株主を主役に考えた場合、株主に不測の損害を与えないよう、会社の職務を監視し、制限を加える方向に制度が構築されます。

結局、どちらが正しいというわけでなく、商法も、新しい会社法も、この二つの要請をバランス良く組み合わせて、妥当な会社社会を運営できるよう、制度が構築され、以降の模索もなされています。

今回、電子公告が認められ、利用されたのはもっぱら会社側の利益を重視した制度でしたが、これが株主の権利・利益と抵触し、問題とあいなりました。

カネボウは法に則った運営をなし、法自体も特に大きな問題を孕むものではない以上、この問題が今後、より大きな社会問題として展開される可能性は低そうです。

しかし、会社業務と株主の利益の調整は株式会社社会の永遠の課題であり、新会社法運営上の問題点もこれから顕在化し、再調整が求められる事態はしばしば起こりそうです。

そんな時に、適切な対応ができるようにするためにも、会社法の理解は、日頃から十二分のものにしておかなければならないと感じました。

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2006年6月 8日 (木曜日)

胎児に対する業務上過失致死罪が成立?

本日、静岡地裁浜松支部において、胎児に対する業務上過失致死罪を認定した裁判がありました。

事案は、交通事故により、妊婦を負傷させ、その際の受傷が原因で、胎児が出生後に死亡してしまったというものです。

感覚的にこの事件を見れば、交通事故を起こして人を死亡させているのですから、業務上過失致死罪が認められて然るべき事案なのでしょう。

しかし、構成要件をつきつめて考えると、なかなか難しい問題がいくつかあります。

まず被害者が刑法的保護を受ける主体であるかが問題となります。

通常、胎児段階ではまだ様々な事情により、無事に誕生できない可能性があること、胎児に対する被害は、母体の一部に対する被害として考えればそれほど不相当な結論とはならないことから、胎児の権利性は否定されるのが原則です。

胎児の成長過程のどこから権利性が認められて然るべきかという議論も難しいところですし、この有力説は動かしがたいところだと思います。

そうすると、生まれてきて、いったん独立した人間となった段階において、権利性を有し、これに対する加害行為があったとみるよりない気がします。

こう考えると、加害行為はいつなされたか、権利性のない主体に対する加害行為が認められて良いのか、という問題が生じます。

個人的にはここが最も問題となるのではないかと思います。

権利性のない胎児に対する加害行為を認め、出生と同時に傷害罪を成立させ、母親に対する傷害罪と併合罪とするのは、民事上はともかく、刑事上の利点はあまりないような気がしますし、胎児段階では傷害罪が成立しないが、無事出生すれば傷害罪が成立するというのは刑事責任の果たし方の点からも様々な問題を抱えているようです。

他方、加害行為は母親に対してなされたと見て、その加害行為と相当因果関係の範囲内の結果として(結果的加重犯の「よって」の解釈が問題となりそうですが)、出生した子の死亡の責任を追及するという考えもとり得、裁判所の判断はこのような判断のようですが、Aさんに対する加害行為によって別のBさんに生じた結果の責任を負うというのは、決しておかしいことではありませんが、因果関係等を厳密に検討したうえで、特に妥当性を有する場面に限定されるのではないでしょうか?

今回は過失犯であるため、法律上の争点は減っていますが、これが母親に対する故意犯であった場合、さらに、故意の内容や因果関係など、難しい問題が増えるのではないかと思います。

結果的に妥当な裁判だとは思いますが、その妥当性を裏付ける理屈は容易ではなく、これからの検討と学説の反応が期待されるところです。

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2006年5月29日 (月曜日)

ひき逃げの厳罰化検討中

全国交通事故遺族の会は、法務大臣に対し、ひき逃げの厳罰化を求める嘆願書を提出しました。

折しも、唐津の小5ひき逃げ事件の話題がとりざたされる今日、ひき逃げという最も卑怯な部類の犯罪を厳しく処罰すべきだという意見は一般的なものとなっています。

悪質な交通事犯に対応するため、危険運転致死傷罪が設けられ、交通事件の量刑が引き上げられましたが、個別の事案では、以前よりも適切な量刑として、機能しているようですが、厳しい量刑を避けるためにひき逃げに至るケースも増えており、この3年間でひき逃げ事案の数が3倍近くに激増したようです。

そして、ひき逃げ事案の検挙率は26%にとどまっており、危険運転致死傷罪の設定により、かえって、被害者は、加害者の名前や顔すら知ることができず、民事上の損害賠償すら受けられないケースが増えているようです。

突然、不慮の事故に巻き込まれ、このように全く被害を回復する手だてがないというのも大きな問題だと思います。

近時の子供が被害者となる事件対策のために、あちこちの公園でカメラが設置されているという話を聞きますが、一般行動が監視カメラばかりになるというのは、あまり気分のいいものではなく、不適切だと思います。

結局、危険運転致死傷罪の、厳しい量刑を恐れて、ひき逃げに至ったのですから、ひき逃げ行為自体の量刑を引き上げ、ひき逃げのメリットが乏しいことをドライバーに告知するしかないのではないでしょうか。

唐津の事件はおそらく殺人未遂罪での起訴を検討中だと思いますが、この事件のように積極的な移置がある場合には、殺人未遂で、ただの救護義務違反の場合には、単純な業務上過失致死傷罪以上、殺人未遂罪以下の量刑を設定し、ひき逃げを犯したら、殺人の匹敵するような厳しい処罰を受けるおそれがあるとドライバーが認識すれば、ひき逃げ自体は大幅に減るのではないかと思います。

とはいえ、検討事項は多岐にわたると思われますので、容易に法改正とは行かない気がしますが、それでも被害者の苦痛を癒す手だてがないという状況を少しでも減らすためになんとか前向きに検討してほしい事項です。

最後に、唐津の事件の被害者は無事に回復の傾向を見せており、このまま元気になることを期待してやみません。

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2006年5月20日 (土曜日)

破産法の理念と現実

四月まで肌寒い天気が続き、ようやく暖かくなってきたかなと思ったら、今度はもう梅雨に入ったのではないかと思わせる曇天が続き、今日は久しぶりに晴れました。

洗濯日である土曜日に晴れたのは、非常にうれしいかぎりです。

洗濯して、掃除して、あとは特にやることもないので、家でゆっくりと本を読んでいました。

弁護士の仕事として、どうしても破産案件の処理が大きなウエートを占めるので、今日は破産法の勉強を集中的に行いました。

破産は、支払能力のない人に立ち直る機会を与えるため、その債務を免責することに主眼が置かれた精度ですが、債権者の側からすれば、もっぱら債務者の責任によって、その債権回収が不能になるのですから、免責にあたっては、厳格に審査しなければ、債権者としてはやってられないでしょう。

破産法の理念も、原則としては、このように、厳格な手続きのもとで、免責の可否を審査し、適切な事案のみ免責の裁判をするものとなっています。

しかしながら、破産案件の増大により、必ずしもこの理念に従った運営は困難になっていきました。

そこで、各裁判所で大量の破産事件を効率良くどんどん処理するために、様々な工夫がなされました。

昨年より施行された新しい破産法はこのような、実務上の工夫を法にとりこんだ、珍しい成立過程を踏んでいる気がします。

破産法の理屈上の理念が、実務の現実に照らして到底達成しえず、事件処理を主眼においた制度に改変せざるをえなかったのでしょう。

昨日に引き続き、社会情勢によって法が変容させられた一事情だと思います。

私も仕事で破産案件を取り扱っていますが、こんな制度ではいくらでも制度趣旨の網をかいくぐることは可能であるような気がします。

破産者を立ち直らせなければならない、大量の破産案件を処理しないといけない、といった要請から、こんな法律になってはいますが、浪費して、破産でチャラにして当然といった感覚が社会に出てくるのは極めて問題です。

破産者に対して、事態の重大さを知らしめるのはもはや弁護士しかいない状態ですので、これからは弁護士が破産者に対して、手続の説明とともに、しっかりと教育をしていかないといけないのではないかと感じています。

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2006年5月19日 (金曜日)

法は社会の色に染まり・・

共謀罪の本国会での採決が先送りされました。

先の記事でも書いたとおり、国際的な凶悪犯罪のために必要性のある法案ではありましたが、社会の抵抗は大きく、さすがにいきなり成立するという結論にはいたりませんでした。

今後、共謀罪の構成要件についての検討が進み、これについての報道がなされ、社会の共謀罪に対する認識が進んだ段階で採否が本格的に検討されると思います。

次は、一夫多妻生活を行っていた男性の判決で、執行猶予を付した判決がありました。

社会に対する衝撃を考えると、実刑相当と考えた人も多いと思いますが、未だ事件発覚当時とあまり変わらない人数の女性が共同生活をおくっていることと、近時の性や同居に関する社会の風潮などに照らせば、現在は実刑に処するほどでもないという判断だったのでしょう。

同種事案には同程度の刑を、というのが判例に基づく量刑の実務ですが、この事件に関しては、時期によっては厳しい刑に処せられた可能性もあり、社会情勢に量刑が左右されたのではないかと思います。

最後は、ネットを通じて個人情報が流出した事件で、ヤフー等を相手になされた損害賠償請求事件、ヤフーに対する監督責任は認められませんでしたが、直接情報を管理していたBBテクノロジーに対して、管理責任と過失の存在を認め、損害賠償請求を一部認容しました。

不法行為は簡単なようで難解な請求ですが、当事件で問題となった過失の存否については、定期的なパスワードの変更などを、被告に指摘しています。

この過失の存在も、社会の情勢に応じて玉虫色に変化するもので、ネット犯罪の巧妙さが増すにつれ、どんどん過失の内容も厳しくなっていくものと思われます。

今後のネット犯罪の激化次第では、今回否定された監督責任についても厳しく追及される可能性もあります。

法は定型的なものではなく、社会を反映した、社会の縮図であるともいえそうな気がします。

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2006年5月 3日 (水曜日)

弁護人求刑って・・・

裁判員制度の模擬裁判が進むなかで、「どうして検察官だけ求刑を行い、弁護人はしないのか」という疑問が持ち上がり、日弁連において、無罪主張でない事件においては、弁護人も求刑意見を出すべきではないか検討されているようです。

一般人である裁判員としては、当然に抱く疑問でしょうし、量刑判断のために少しでも多くの材料が欲しいところでしょうから、弁護人も求刑を行った方が、裁判員制度上は、有用な気もします。

しかし、裁判官や検察官と異なり、依頼者と委任関係にある弁護人が、果たして、依頼者との関係を排除して、客観的視点で求刑意見を出せるか、大いに疑問があります。

とりわけ、弁護人が求刑意見を出すことにより、事実上「弁護人の求刑が量刑の最下限」という認識をもたれてしまうのでは、弁護人の意見は消極的にならざるを得ず、事実上無意味、あるいは、依頼者との関係において有害な意見にすらなりえます。

法律上、執行猶予が付されるための要件は厳格に定められていますが、このような法律の存在を無視し、「執行猶予を求める」という強行意見を発する弁護士も少なくないと言われる現状においては、弁護人の求刑意見は依頼者に対するパフォーマンスとして、前例や前提事情を無視した、被告人に科されられ得る最下限の刑罰に絞られてきそうです。

それであれば、裁判員制度のもとでは、裁判官が裁判員に対して用意する量刑資料の中で説明すれば足りることであって、弁護人がわざわざ法廷において、依頼者やる被告人に「被告人を懲役○年に処せよ」などと言わなくても良い気がします。

裁判員制度を有効活用するためには、裁判員に対する出来る限り多く、かつ、わかりやすい資料の提供が必須であろうと思いますが、弁護人の求刑意見の提出は、弁護活動の実態や、裁判官の仕事によるフォロー可能性を考えれば、実現は難しい、あるいは、実現してもそれほど有効に機能しないのではないかと思います。

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2006年5月 2日 (火曜日)

出足好調?労働審判制度

被用者側労働事件の早期の解決に有効だと、このブログでも何回かとりあげた労働審判制度ですが、4月1か月の申立件数が93件とまずまずの出足のようです。

最高裁判所が想定した年間申立件数は1500件で、この数字はほぼ想定内のもののようです。

まだ労働審判制度自体は知っていても、それを使いこなせないため敬遠している弁護士もいるようですので、時間の経過とともに、より利用されやすい制度となっていくのではと思います。

私が学んだ限りでは、最初は解雇か辞職かという単純かつ単発の争点を孕む簡単な事件で運用がなされ、そのうち、難しめの事件についても利用されていくのかと思いましたが、運用開始当初から、年次有給休暇や退職金の問題など、幅広い事件に運用されており、これからさらに利用の幅が広がっていくことが期待される制度です。

私はまだこの制度を実際に利用する機会はありませんが、労働者側の難解でない事件を担当することとなった暁には、是非利用を検討し、早期の事件解決を実現したいと思っています。

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2006年4月27日 (木曜日)

検察への逆風は続く

昨日のホリエモン保釈決定は、今日もまだ準抗告の審理が続いており、予断を許さない状況が続いています。

それに続くかたちで、本日、大阪地裁でとある覚醒剤所持事件の証拠請求の可否について判断がなされていたとのニュースがありました。

被告人がポケットの中に覚醒剤を保持していたところ、警察が任意捜査の限界を超えて実質的には捜索同様の捜査を行ったか、被告人自らうっかり覚醒剤を落としてしまったかが争点となったもので、裁判所はポケットの深さなどから、ちょっと身をよじっただけでは簡単に落ちるものではないと判断し、弁護側の主張を採用して、この覚醒剤の証拠能力を否定しました。

結果的に被告人が覚醒剤を所持していたというのは事実である以上、この被告人に覚醒剤所持罪が成立しないとおかしいというのは一般人の常識的な考えでしょう。

裁判例も証拠能力を判断する際は、できる限り常識に従った結果となるよう判断をすることが多く、明らかな騙しや暴力の介入した誰が見てもおかしい捜査がなされた場合でなければ、証拠能力は認める方向で判断がなされることが多かったです。

今回のケースは、結果的に落ちた覚醒剤を、被告人自ら誤って落としたのか、警察の介入があって落ちることとなったのかが争いのポイントであり、このニュースに触れた一般人の多くの人はそれほど大きな問題ではないのではないかと感じたのではないかと思います。

しかし、例え結果的に犯罪を犯したことが真実であっても、勝手に持ち物を調査されない、捜索されないことは日本国憲法上の保障であり、この保障が、他の要請との関係でなし崩し的に薄れていったら、近代国家を目指して立派な憲法を制定した意味がなくなってしまうかもしれません。

憲法、そして我々の自由を守るためにも、捜索かどうかの判断は厳密に行われる必要があり、今回の決定には感動を覚えるところもあります。

検察にとっては厳しい判断が続きますが、適正な捜査が確保されたうえで、検察官のレベルアップにより、適正な刑事裁判が行われる世の中の到来を切望しますし、それはそれほど難しいものではないかもしれません。

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2006年4月26日 (水曜日)

行く人、来る人

姉歯氏ら、耐震構造の偽装に関する8名が本日逮捕されました。

別件逮捕の疑いもあるこの事件については詳細がわかり次第、記事にしたいと思います。

逆に出所する側として、ホリエモンが保釈申請をしていた件で、10日以上判断がでないという異例の事態の中、本日保釈決定がなされました。

保釈金額3億円は、私のほぼ予想通りでしたが、否認のまま現時点で保釈されるというのは「想定外」でした。

検察側が準抗告したため、その判断を待って堀江被告の身柄が解放されるかどうか決定されることとなり、おそらく慎重な判断がなされると予想されるため、今しばらくの間は大きな動きはないと思われます。

一般に、否認中の被告人に対しては、その一事をもって罪証隠滅のおそれが推認され、保釈申請は却下されることが多いです。

仮に、申立時点で十分な証拠が揃っていたとしても、公判廷で証拠能力を争い、証人に圧力をかければ、証拠隠滅はその時点からでも可能であり、否認する人にとっては、そのような行為に及ぶ可能性が否定できないというのが裁判所の判断の根幹にあると思います。

否認しておらず、証拠が全ておさえられ捜査が終了しているにもかかわらず、捜査初期に否認していたことをもって罪証隠滅のおそれが推認されることもあるほどですから、弁護士は保釈申請における裁判官の説得にはいつも多大な労力が要求されます。

ここで、昨年秋から施行された公判前整理手続が早期の保釈申請に役立つとの指摘もあります。

すなわち、否認事件で罪証隠滅のおそれが推認されるのは公判において証拠の証拠能力を争われる可能性があるからですが、公判前整理手続で証拠能力を争わない証拠が整理されれば、罪証隠滅可能な範囲が具体化され、それに伴い、現実的な罪証隠滅のおそれの判断が可能となるからです。

それゆえ、私は、5月10日に予定された公判前整理手続において堀江被告が証拠意見を述べた段階で、堀江被告の罪証隠滅のおそれが実質的に判断可能になり、保釈決定がなされる可能性があると考えていました。

裁判所が従前の例に反して今回保釈を認めた理由は良くわかりませんが、証人になりうる者への接見禁止や、その他罪証隠滅が物理的・心理的に不可能であることを弁護人が詳細に主張した結果ではないかと思っています。

裁判所の判断過程がわからないので、責任をもった判断はでいませんが、準広告審では、裁判所の通例に従う判断がなされれば保釈を認めない判断を、弁護人の意見が採用できると判断できれば保釈が認められる結果となると思います。

難しい判断になりますので、しばらくは担当裁判官はこれ以上ないプレッシャーの中で頭をひねりつづけるのかもしれません。

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2006年4月21日 (金曜日)

共謀罪成立の是非

衆議院の法務委員会で「共謀罪」の新設についての審議が始まりましたが、大荒れの状況となっているようです。

日本国の刑法は危険思想を抱いただけでは処罰されず、客観的に見て危険で許されない行為に及んだときにはじめて処罰がなされます。

ところが、共謀罪が成立してしまえば、何か犯罪をしようと話しあいをしただけで処罰されることになってしまいます。

現行刑法上も共謀共同正犯という類型が事実上認められており、これは①実行犯が犯罪を犯した場合に、②事前の意思疎通の程度や分担した役割の大小、当該犯罪を行う動機や利益の大小等を考慮して正犯同様の役割を果たした人物に対しては、実行行為を行わなくとも正犯として処罰できるというものですが、そもそもこの類型についても疑問を呈する人は少なくありません。

今回の共謀罪はこのような共謀共同正犯の要件から、①正犯の実行と、②謀議以外の諸事情の大小にかかわらず、ただ話しあいをしただけで処罰するもので、処罰要件を大幅に拡大しているため、各方面からの非難が大きいです。

もっとも、裁判による処罰という観点から言えば、違法性の解釈や執行猶予の判断基準次第では、現行の共謀共同正犯や予備罪による処罰と大きく変わらない可能性はあります。

しかし、私は捜査段階における影響は相当程度あるのではないかと思います。

これまでは謀議をしただけでは犯罪とならず、捜査はその先の実行行為の有無に向けてなされるものでしたが、共謀罪が認められると、謀議自体が犯罪となるため、謀議の有無を探るための盗聴等の捜査範囲が拡大する可能性は大きいです。

また、謀議のみによって犯罪が成立するため、多くの犯罪に関与している疑いがあるが、証拠不十分の場合に、些細な謀議を取り上げ逮捕し、身柄確保のうえで捜査を進めるという方式も認められてしまう可能性があります。

制度が適切に運用されるのならば、法律改正といえそうですが、そうでない場合、法律改悪ともなりかねないものですので、成立に関しては慎重に審議してほしいと思います。

その点で、適用範囲が不明瞭な与党案が強行に採用されることは是非とも回避してほしいところです。

とはいえ、この議題が持ち上がった理由は国際組織犯罪防止条約にありますし、それとの絡みで、今後は組織的重大犯罪の共謀のケースに限定して審議されるのではないかと私は思ってます。

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2006年4月17日 (月曜日)

路上駐車撲滅運動?

日本は人の数に比べて土地が狭い、だから、街のいたるところで路上駐車が見られ、これによって交通が害されている面が大きいです。

路上駐車する人は単に面倒臭いというだけでなく、特に都心部で駐車場が少ない、あるいはあっても高いという経済的な面からやむをえず路上駐車となるケースが多いのではないかと思います。

私の家の近辺だけを見ましても、月極駐車場は月額3万円以上かかりますし、狭い道路に路上駐車された結果さらに通りにくい道路になったという光景をよく見かけます。

路上駐車がなければ、交通はもっとスムーズに進むでしょうし、交通事故の数・可能性はぐっと下がると思います。

こういった現状に配慮してか、今日、路上駐車の取り締まりが強化されるとのニュースがありました。

内容は色々とあるようですが、従前、事前告知のうえ、30分経過しても運転手が帰ってこない場合に処分を下す方式であったのが、警察の裁量で、運転手がもう帰ってこないと判断すれば、処分対象としてよいということになりました。

また、従前は罰金の支払から逃れきることが可能でしたが、これからは車検時に未払罰金の精算が義務化されるため、罰金の支払から逃れることができなくなります。

上で述べたような路上駐車に至るやむえをえない事情を抱える人たちにとってはやや酷な制度改革かもしれませんが、合理的な理由を抱えて不服のあるひとは、公安委員会に弁明書を提出することも可能であり、これによってバランスをとっているのかと思います。

路上駐車をどのようになくすかは、将来的な事まで考えれば駐車場の大幅増設が不可欠だと思いますが、それまでは、問答無用の撤去→罰金徴収というパターンである程度運転手の意識改革をしていくしかないかとも感じ、今回の制度改革はこのような目的でなされるのだと思います。

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2006年4月13日 (木曜日)

やったもん勝ち

難波のマンションで、先行販売されたマンションが、「生駒山を一望できる」ことを売り文句にしていたため購入したが、その後、生駒山の方角により高いマンションが出来たため、売りであったはずの眺望が失われ、法廷闘争に至るというニュースがありました。

住人としてはマンション購入の重大な動機を否定されたのですから、怒るのももっともで、心情的には後でできたマンションの改築を請求したいところでしょう。

しかし、現在の法律上、完成してしまった建物の改築請求ができるのは、新建物自体が建築基準法等の法令に違反していなければ中々認められないのが現実です。

この事件も、慰謝料請求を検討していると報道されていましたが、仮に慰謝料請求が裁判上認められたとしても、住人としては納得できないのではないでしょうか?

このような建築紛争に良くあることですが、先にモラルに反した行為を行ってしまえば、その回復措置までは法律上請求できず、結果として、先にやったもの勝ちという状況が発生することがしばしばあります。

しかし、このようなことが常態化すれば、日本の治安は大きく乱れてしまうことになりかねません。

昨日取り上げたイジメ事件のように、殺してしまったものはもう戻らない、あるいは、騙されて金を払ってしまったら、会社が倒産して返してもらえない、といった悲劇的な結末になるのは第三者の立場で傍観していても心が痛むものです。

とはいえ、やってしまった事を元通りに直せというのは物理的に不可能であったり、利益衡量の観点から、法文化しにくいといった事情もあります。

そういった中で、法曹が社会の治安を維持するためにできることは、被害が回復されるべきで、かつ、回復可能な事案において最大限に法令解釈の幅を広げ、被害回復のできる範囲を広げていくことだと思います。

昨日取り上げた判決も、不法行為に解釈の幅を広げ、将来に希望をもたらしたものだと思いますが、こういった判決をどんどん検討し、理解を深めていきたいと感じています。

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2006年4月10日 (月曜日)

公判前整理手続の課題

本日東京地裁で、ある殺人被告事件の判決がありました。

この事件の特色は、否認事件であるにもかかわらず、土日を挟んで6日連続で開廷し、通常1年近くかかる裁判をわずか1か月で判決にもっていったというところにあります。

刑事裁判の否認事件となると、これまで審理に相当の時間を要しましたが、昨年11月から施行された公判前整理手続の活用によって、劇的な変化を遂げることとなったケースとして注目されます。

公判前整理手続の利用により、争点と証拠整理が早期に行われ、集中審理によって審理期間を短縮するのですが、これによって被告人にとっては、無罪の者は早期に解放され、逆に有罪の者は早期に受刑を開始して、早期に解放される、という恩恵を受けることができます。

しかし、他方で、普段忙しい弁護士にとっては、忙しさにさらに輪をかけるような制度であり、もはや悲鳴もあがらないほどの惨状となりかねない制度でもあります。

審理のためには証人尋問を行うこととなりますが、証人尋問の準備はただでさえ多大な労力を要するにもかかわらず、これが毎日行われるというのでは、他の仕事には全く手がまわらなくなるおそれがあります。

また、証人尋問の結果は、通常書記官が書面にしたうえで、それをもとに、弁護士は次の証人尋問の準備をしたり、最終意見をまとめたりしますが、公判前整理手続のもとでは、このように書記官の尋問調書の作成を待つことができず、弁護士事務所の事務員が法廷に行ってとったメモをもとに次の準備をすることとなります。

公判前整理手続においては、証拠開示が可能になるなど、弁護側のメリットも理論上は大きいのですが、このように、超過密日程で審理を行うため、開示された証拠を十分に検討する余裕がそもそもあるのか疑問が残り、法曹三者の能力と自覚次第では、重要な点がポロポロと抜け落ちた雑な審理にもなりかねません。

公判前整理手続を十分に活用し、充実した裁判を展開するためには、法曹三者が日々自覚を持って鍛練し、能力を高めていかなければならないと考えさせる事件です。

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2006年4月 7日 (金曜日)

宇治小乱入事件控訴審判決

今日は、大阪高裁で宇治小乱入事件控訴審判決がありました。

結論は1審と同様に、心身耗弱と殺意を認定したうえで、懲役3年の実刑判決。

私が考えたのは、この事件を裁判員制度で行ったらどうなっていたか、という点です。

検察側の控訴理由で、争点となったのは、被告人が犯行当時心身耗弱だったかどうか?で、医師による鑑定結果等をもとに、被告人に善悪の判断をする能力が出来たかどうかを判断することになります。

弁護側の控訴理由で、争点となったのは、被告人に殺意があったかどうかで、用いた道具の殺傷能力や、攻撃の態様・部位などから総合的に判断することとなります。

後者の殺意の有無の認定につきましては、我々は司法研修所で嫌というほど教わる内容ですし、具体的な周辺事実から争点事実の有無を推認するということで、法曹三者が裁判員に対して、レジュメ等を配布してわかりやすい説明をこころがければなんとかなりそうな気がします。

しかし、前者の認定については、弁護人としても、鑑定結果についてどのように意見を組み立て、弁護活動をしていけばいいか十分に理解していない人がほとんどであるのに、一般人が十分な議論のうえで、妥当な結論を導けるかどうか疑問があります。

以前、殺人事件の被告人については、精神鑑定の申請がよくなされるという記事を書きましたが、鑑定結果に対する法的判断についていかに法曹三者と裁判員が意見を交わし、妥当な結論を導けるかは大きな問題だと思います。

同時に、弁護士としても公判前整理手続のもとで、いかに一般人にわかりやすい説明をできるかも問題となってくるところですので、公判前整理手続自体の研究及びその運用のあり方について理解を深めていく必要があります。

裁判員制度については、求める理想が素晴らしい反面、越えて行かなくてはならない壁も沢山あります。

厳しい道のりは続きますが、その先に理想的な裁判のあり方が見えればと期待してやみません。

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2006年4月 4日 (火曜日)

一人でできるもん!

今日は国選弁護担当の事件について検察庁に記録の閲覧に行ってきました。

選任された当日に記録閲覧したうえで接見、俺ってなんて理想的な刑事弁護人♪などとまたバカなことを考えながら、検察庁に行ったのですが、1時間待てども記録が出てこない。

閲覧課の職員によれば、検察官の異動にともなって担当検察官が異なったことと、事情を知る事務官が欠勤しているため、全く記録の所在がわからないとのことでした。

しかし、担当検察官がいるのに、その担当事件の記録の所在がわからないとは、どうもおかしな気がします。

大阪の検察官は日本でも有数の忙しさを誇ると言われており、細かい雑務は事務官任せになりがちかもしれませんが、それでも、記録の管理という基本的なことぐらいは、自らきちんと行うべきではないかと思います。

これは我々弁護士の仕事についても同じで、どうしても細かい雑務は事務員まかせっきりになったりもしますが、事件処理の主役は弁護士である(そうでなければ非弁の問題が生じ得ます)以上、やはり弁護士は事件処理の流れをしっかりと把握すべきだと思います。

いくら有能な検察官や弁護士であっても、こういう初歩的なところで事務官や事務員頼りになってしまえば、総合的に見てあまり優秀であるとは言えない気がします。

さらに言えば、いくら収入が高くても、家のことは妻に任せきりという男もそれほどいい男とは言えない気がします。

仕事の分担上、細かい事までしなくても良いことがありますが、それは細かいことが出来なくても良いというわけではないので、仕事では普段事務員がやっているような小さな雑務、プライベートでは、普通男がしないような家事までしっかりとやって、基本的な事は一人でしっかりできる男になるべきだと改めて感じました。

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2006年3月27日 (月曜日)

醜い努力も報われる?

年度が変わる前後の1週間は、裁判官の異動などがあり、裁判はあまり開かれません。

この時期の弁護士の仕事はもっぱら溜まっている仕事を処理したり、挨拶回りをしたり、普段読まない本を読んだり勉強したりします。

本日私は、昼は少し前の判例タイムズを読み、夕方からは弁護士会主催の不動産強制執行の勉強会に出席してきました。

主として建物明渡に関する勉強会で、私は建物明渡請求事件等を扱ったことはありませんが、全て和解で解決し、強制執行に至る場面がありませんでしたので、この機会に勉強しようと思い行ってきました。

実務についた当初は何故、建物明渡請求の認容判決が確実にとれそうなのに和解で解決しようとするのか理解に苦しみましたが、現実の建物明渡の強制執行をする場合、数十万円もの費用と、相手方が抵抗した場合に無理矢理追い出す気持ち悪さ、処理に困る動産が存した場合の手続など、多くの問題が生じ、そんなに強制執行のハードルが高いなら、和解で多少でも譲歩して、双方納得のうえで、任意の明渡を促す方が、双方にとって有益な紛争解決手段であることはよく分かります。

しかし、法律上明渡請求が認容される事案で、居住者が理由なく明渡を拒むため、建物所有者側が譲歩を迫られるのは、おかしな感じが否めません。

最近は法の対策も進んできましたが、いわゆる占有屋という立場が仕事として成立するような世の中はおかしいと思わざるをえません。

本日の昼に読んだ判例タイムズの記事でも、これからの弁護士像というコーナーで、近時東京では、明白な負け筋事件について、判決・執行の引き延ばし目的だけで受任する弁護士が増えており、嘆かわしいという記事がありましたが、法の遵守を促す立場の弁護士が、法律違反を唆して飯を食っていくというのは明らかにおかしいと思います。

正しい法適用の結果(そういうものがあるかどうかはここではおいておくとして)が誰の目にも明らかな事案で、醜い抵抗をして、それでいくらかの利益を得るというのは姑息なことだと思いますし、このような醜い努力が報われるような世の中は、まだまだ法改正によって変えていかなければならないと思います。

法改正がなされるまでも、私が意識して行っている早期の争点整理と、本人の納得を重視した、和解に比重をおいた紛争処理手続をできる限り実践することによって、少しでも当事者が納得し、かつ、正当な法の適用にできる限り近い解決を模索し続けたいと感じました。

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2006年3月 9日 (木曜日)

雑誌2枚を破って持ち出したら罰金20万円

本屋の株の雑誌の中から必要な部分2枚(4頁)破って持ち出したおばあちゃんんが、罰金20万円に処せられたとのニュースがありました。

本屋の店頭に並ぶ雑誌を破いてしまえばもはや売り物になりませんので、器物損壊罪にあたりますし、紙切れ2枚でも財産的価値を有するものを勝手に持ち出せば窃盗罪にあたります。

普通、万引きは見つかってもその場で店長に謝って、盗んだものを返せば、警察沙汰にはならない、あるいは、起訴されないものですが、今回の件は悪質な犯行と見られたのか、起訴され、罰金の実刑判決となりました。

被告人にとっては、目先のわずかな雑誌代をけちって、大きな損害を被ったかたちとなります。

気持ちはわからなくありません。私が中学生の頃、ドラゴンボールやスラムダンクは読みたいが、ジャンプを買うのはもったいない、という人が結構多く、ジャンプを買って、DBとSDだけ切り取って残りを安く売る、という方法をとったり、逆に雑誌を読み終えた人からDBとSDだけ安く買い取るという人がいました。

大学の頃には、高額の教科書を買うお金がなく、他人が買った教科書を安いコピー屋で試験に必要な部分だけコピーする人がかなりいました(明白な法律違反です!)

多数にわたる情報がまとめられた書籍や、多数の演出のある劇場などは、事実上抱き合わせ販売をしているのと同じです。

消費者の側から見れば、自分の欲しい情報だけ切り売りしてほしい

売主の側から見れば、できる限りコストパフォーマンスのいい取引を行いたい

この相反する双方の思惑の妥協の産物が現実に市場に出回る商品なのでしょう。

この双方の思惑が均衡を失したところに、窃盗等の犯罪や、予想を下回る売れ残りなどの結果がついてくるのでしょう。

ところで、最近では、iPodで必要な曲だけ持ち出すことができるようになったとおり、情報のデジタル化→情報の可分・再編成の容易化、が進み、消費者側は工夫をすれば簡単に必要な情報を必要なだけ入手・整理できる世の中になっています。

今、巷を騒がせているWinnyも、制作動機は消費者側の利益ですし、コストをかけないで必要な情報を得たいという消費者側の利益のために運用されています(多分)。

そうすると、困るのは情報の売主側、どんどんコストパフォーマンスが悪化し、次々とつぶれていくのでは、日本経済、さらには人類の文化に対する大きな打撃となりかねません。

Winnyは、消費者の側から見れば神的な存在かもしれませんが、これが濫用されることの弊害にも着目し、しっかりと法的ルールを構成していく必要があるでしょう。

今回のおばあちゃんの罰金判決は、こう考えると、時流に沿った必然の産物なのかもしれません。

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2006年2月28日 (火曜日)

労働審判法

法律は絶えずめまぐるしく変動します。

今年5月には大きく改正された会社法が施行され、弁護士は皆その対応に向けて忙しい日々を送っていますが、この他にも、我々の仕事に直結する法律の変動として、昨年11月より施行された刑事訴訟法の一部(公判前整理手続)や、今年4月から施行される予定の労働審判法などは、具体的な案件が来る前に勉強しておかないといけない法律で、日々の仕事に加え、このような法律の勉強も進めなければならず、中々大変です。

独学には限界があると思い、今日はこの労働審判法の講義に参加してきました(昨日は勉強会、今日は講義、明後日も不動産執行の講義受けにいくんだよな、これじゃ社会人になったのか、まだ学生なのかわかりゃしない(^^;))。

困っている人を、早く、正確に救済すべきというのはどの事件においても心がけるべき点だと思いますが、労働事件の労働者側の案件は、弁護士が特にこのことに配慮して、解決を図るべき事件だと思います。

法律上は救済可能でも、遅い・高い・面倒臭いではリーガルサービス自体に手を出しにくく、解決ができないということにもなりかねません。

私は、訴訟においてはできる限り争点整理期日の回数を減らし、その分当事者の納得に向けた和解期日の回数・時間を十分にとりたいと考えて訴訟を進めていきたいと考えていますが(証拠不十分な事件や、主張が複雑な事件、相手方が協力してくれない事件などでは、なかなかうまくいきませんが)、それでも事件の解決まで相当期間が経過してしまいます。

今年4月から利用できる労働審判は簡単に言えば、争点整理の期日を2回に限定し、その間に主張を整理し尽くして、後は話しあいをするか、裁判所の判断を仰ぐか選択するという制度で、単純な事案の場合は訴訟で解決するよりも早期の解決が期待できそうです。

まだ、実際に運用されていない制度なので、どれほどの効果・利用価値があるかは不明ですが、研究を重ねて、機会があれば利用を検討してみたいと考えています。

事件の解決の最大のポイントは当事者の納得であり、これに十分な時間と手間をかけるためにも、その前の争点整理はできる限り最短距離で進める、この意識が肝要だと思います。

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2006年2月10日 (金曜日)

個人情報保護法の弊害

プライバシー権といえば、厳密に考えるともの凄く難しい権利ですが、誰もが知り、主張する権利だと思います。

プライバシーと聞いて、今なら加護亜衣がファミレスで喫煙していたという著名人の私的事実を思い浮かべる人も多いかもしれませんが、ここでは、身近な話題として、ダイレクトメールや迷惑メールが発送される原因となる、住所やメールアドレスといった情報の漏洩問題を思い浮かべて考えてもらいたいと思います。

個人情報保護法は、このような個人情報の大量漏洩問題が多発したことから、個人の基本情報を守るために制定され、昨年4月から施行されています。

その内容はおおむね、予防的なもので、情報を漏らしてはいけないという規定のほか、情報漏洩前の管理措置を主に規定したもので、罰則自体はあまり重くありません。

私の仕事にも、しばしば個人情報保護法を守るためには、どのような活動をすれば良いか、という相談があるほか、事務所としても、業務のためにやむを得ず取得する個人情報の管理を意識して行っています。

個人情報保護法に従うためには、出来る限り情報を持たないことが何よりですが、情報は極めて高い価値を有するものですので、なかなかそういうわけにはいきません。

一方で、個人情報が流出した場合、損害が計り知れないものとなる可能性があるため、今回原則として、個人情報の流出が禁止されたわけです。

といっても、情報によっては、機関等によって共有されることが公共の利益となる場合がありますから、このような場合は例外的に取得が認められます。

今日のニュースで、公共機関が病院に癌患者のデータを開示するよう求め、個人情報保護法をたてに断られたケースが多々あるとありました。

癌の研究のためにその情報を開示することは法律上はっきりと認められているため、この場合、個人情報保護法違反にはなりません。

しかし、このような事が起こるのは、個人情報保護法が社会に正確に理解されていないことの他にも、癌の情報は重大だから、うかつに開示したら大変なことになる、という意識が働いたものだと思われます。

確かに情報が一度流出してしまえば、回復は難しいので、情報開示に積極的であるなかれ、という意識は正しいと思いますが、それがこのように有益情報の共有を阻むというかたちで、現れるのはいささか残念です。

私の仕事においても、弁護士から要求された情報を開示する義務のある業者に、個人情報保護法を盾に情報開示を拒絶された例もあります。

個人情報保護法の理念は極めて素晴らしいものですが、それがこのような不当な情報開示拒絶につながるのでは、悪法と言われても仕方のない事かもしれません。

なんとか多くの人に個人情報保護法の正確な内容を理解していただき、その理念を最大限に発現させ、弊害をなくせるよう、根気よく、丁寧に依頼者には説明していきたいと思います。

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