2009年12月20日 (日曜日)

一発勝負

高校駅伝を見ていると、全国的に有名な強豪校が、県予選で敗退し、ブロック大会で敗者復活したケースが見受けられました。

普通の大会であれば、県予選で負けた段階でおしまい。

しかし、敗者復活戦をすると、予選で負けた相手を上回るタイムで上位入賞する学校も出てきます。

それだけレベルの高い県もたくさんあるのでしょう。

そうすると、このような記念大会でなければ、予選の一発勝負が本大会の結果に大きな影響を与えます。

本大会に照準をあわせていた、ではすみません。

予選で結果を出せなければ本戦には出ることすらできない、というのは非常に厳しい仕組みです。

その結果、実力があるのに全国大会に出られないチームが出ることもありますが、こうした激戦区をくぐりぬけて全国に出るチームは全国でも好成績をコンスタントに残す傾向があるような気がします。

悠々と突破できる予選よりも、厳しい予選を乗り越えたほうが、一段成長しているからともいえるでしょう。

しかし、教育の点から見れば、「厳しい予選があるしくみ」と「実力のある者ができるかぎり全国に出られるしくみ」いずれがよいかは考えものです。

一発勝負は厳しいものですが、その中で何を競技者に伝えていくかが大事ですし、誰が勝ったかよりも、参加者が何を持ち帰ったかがスポーツでは大事だと感じました。

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2009年12月 9日 (水曜日)

危険と隣り合わせ

赤星選手の突然の引退宣言にはびっくりしました。

長年努力を続けて、球界のトップ選手として活躍できるところまで来て引退を迫られることの悔しさは想像を絶します。

プロスポーツは華やかなようで、こうしたちょっとしたところにとんでもない落とし穴が待っています。

学校でドッジボールをしていても心臓ショックの危険があるようで、純粋にスポーツを楽しむことの難しさがわかります。

可能性としては非常に微々たるもの。

しかし、予見可能性がある以上、合理的にとりうる防御策はとらなければならない。

そうしたら、ルールとしては面白くなくなる。

このことが頭に入ってしまうと、スポーツの見方がかわってしまいます。

赤星選手の場合、悪質なファウルを受けたわけではなく、プロ選手として最高のプレーをしようとして、事故に遭ったわけで、本当に不運としかいいようがありません。

願わくば、この件を機に、スポーツをする選手は十分に危険の気をつけてプレーする

スポーツを見る人は危険を理由にスポーツ離れしない

そうあってほしいと思います。

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2009年10月13日 (火曜日)

ほめたたえるとき、野次るとき

ゴルフで、有名選手と同じラウンドでまわる相手選手が、ミスをしたときに拍手される大変な皮肉にさらされているようです。

このニュースは日本人のスポーツに対する意識の低さを露呈しているようで、個人的には不愉快です。

ギャラリーが特定の選手を応援するのは自由。

しかし、相手選手のミスを喜んだり、スーパープレーに野次るのは、スポーツ自体への批判ではないでしょうか?

良いプレーは敵味方を問わずたたえる

悪いプレーは敵味方を問わず批判する

それがスポーツ観戦者の基本的なスタンスのはずです。

経過・内容はどうでもよい。要は応援するチームが勝てばよいという考えは、ルール違反や選手強奪をしてでも優勝すべき、強いチームを維持すべき、という考えにつながって、スポーツを腐敗させるか、勝てないチームの応援はしないかのどちらかに流れていってしまいます。

そうではなく、純粋に素晴らしいプレーを楽しむ

気をぬいたプレーをする選手を批判する

そうすることにより、観客もスポーツを楽しめますし、スポーツ界自体のレベルもあがります。

日本人は体育は好きなのに、体育の時間が少ないため、スポーツについて十分に学ぶ機会がありません。

しかし、毎年のようにメジャーリーガーを排出し、サッカーワールドカップには毎回出場し、ゴルフやテニスでも世界で通用するプレーヤーが出てきた。

この時期だからこそ、もう少しスポーツ教育を重視し、スポーツを身近に、スポーツを厳格に見ることができるよう情報発信と教育をすすめていくべきではないかと思います。

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2009年10月 3日 (土曜日)

2位票の重要性

五輪招致は、ほぼ予想された結果に終わりました。

一次投票で22票の投票があり、トップと僅差でしたが、二次投票ではすでに落選したシカゴの票が入るどころか、逆に票が減って落選になりました。

最後はリオディジャネイロの圧勝。

一次投票の裏で、多くの審査委員が、自分の本命の開催地でなければリオディジャネイロ、と思っていたことが浮かび上がり、1位票よりも、2位票がどれだけ集まるかが大事であったことを如実に表しています。

東京は施設・財政・治安など提供するものは素晴らしくても、

なぜ東京でするのか

都民を五輪に巻き込めるのか

といった点で疑問を残したため、2位票を集めきらなかったのが敗因だと推測されます。

お金をかけてすごいものを作り上げ、偉い人からお願いしても 、それだけでは人は動きません。

人を動かすのはテーマであったり、インパクトある内容であったり、何かはっとさせる発想がなければならないでしょう。

さまざまな企画をたてるうえで、とにかくお金をかけて盛大にやる、というだけではなく、どうやって人を動かすか、人に興味をもってもらうか、ここをしっかり考えを出し合ってはっとさせるものを用意しなければならない、ということは決して忘れてはいけません。

五輪招致の失敗は残念ですが、日本人の弱いところを指摘されたかたちでもあります。

今後、すこしずつでも修正されていけばよいと思います。

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2009年9月 5日 (土曜日)

わずかな差?

サッカーの日本対オランダ戦。

点差を見て惨敗と評価する人もいるでしょうし、点差は3-0だが、善戦した。そう考える人もいるでしょう。

私はわずかな個人能力の差で完敗と評価します。

失点はいずれも、崩されての失点ではなく、マークがついている中で、うまくコースを狙った正確なシュートを決めたもので、シュートを外したり、マーカーの体に触れることとは紙一重で、失点につながるか否かは、確率的な要素が否定できません。

だからといって、また、試合の多くの時間失点しなかったからといって、日本とオランダの差がわずかとはいえません。

失点は、オランダ選手の反応・反転に要する時間・トラップ、パス、シュートの正確さの差が現れたものですし、失点しなかったシーンも偶然失点しなかっただけの面もあります。

対して、日本はこれらの運動能力で劣るため、ちょっとしたマークをはずすチャンスを作れず、シュートもあまり正確ではないため、決定的なチャンスはなかなか作れませんでした。

ほんのわずかな運動能力の差ですが、それがチームとして大きな差をもたらし、試合内容としては完敗というべきでしょう。

ワールドカップでは、そうしたチームに勝たなければ、決勝トーナメントにはいけません。

運動能力の差は、練習で地道に埋めるしかないので、そうするとともに、どうすればその差があまり現れない試合運びができるか、じっくり考えて準備してほしいと感じた試合でした。

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2009年9月 3日 (木曜日)

日本人は3度の飯よりスポーツが好きか?

2016年五輪開催地が来月決定します。

立候補している東京は、施設や治安など、客観的な受け入れ要素でリードしながら、主観的な受け入れ要素で遅れています。

五輪の東京開催に反対する意見が20%以上あるというのは、結構異例な話だと思います。

スポーツ界が盛り上がるのは大賛成だが、そのために五輪を開催するのは財政面などでリスクがあるという意見が結構強いのでしょう。

スポーツは好きだけれども、金を出すのはほどほどに。

個人としても法人としてもそうした考えが強いため、企業頼みの体質がぬぐえない、そうした日本スポーツ界の構造がここにも表れています。

スポーツは文化で、人と企業が支えていくものだと思います。

人と企業がスポーツを好きに、これがなくては困る、という気持ちになれば、各自がそれぞれのできる範囲でスポーツの反映に力を尽くします。

それができないのは、スポーツが心から好きではなく、あってほしいが、必ずしも不可欠なものではない、という気持ちの人が多いのではないかと推測されます。

その結果、一部の企業に負担が集中し、限界をこえた際、当該スポーツ界自体の存亡にかかわる問題となります。

これは、エンターテインメントの種が豊富な日本ならではの事情もあるでしょうし、企業を動かす人間が本格的なスポーツを経験していない事情もあるでしょう。

勝利至上主義が先行し、お金のあるチームばかりが先走り、そうでないチームがしらけてしまう傾向もしばしばみられます。

そうではなく、純粋にスポーツを楽しむ気質を醸成していかなくてはならないと思います。

大人も子供も男性も女性も、勝敗より「やること」に重点を置いて純粋にスポーツを楽しめる環境を作っていかなければ、「プレーヤー」と「出資者」が早い段階から分離する社会では、真のスポーツ文化ははぐくめないと思います。

どのスポーツでもいい、できる限り多くの人が学校や地域で楽しくスポーツをできる環境作りを、少しずつでも各所で進めていく必要があるでしょう。

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2009年9月 1日 (火曜日)

大物を育てる環境

九重親方の講演を聞いてきました。

苦難を乗り越え、大記録を作り上げた努力の人だけあり、非常にためになる良い講演でした。

ここでふと思ったのは、千代の富士以降、「強い」と思わせる日本人力士は貴ノ花くらいしかあらわれていないこと。

それが相撲人気の衰退につながっています。

日本のスポーツ界自体は、陸上・サッカー・野球・バレーボールと、着実に進歩していると思います。

その反面で相撲界は日本人力士のレベル低下。

プロ野球界でも、投手や野手のレベルがあがる反面で、日本人パワーヒッターは、ゴジラ松井以降、ほとんど生まれていません。

世界と戦うことがテーマだったここ数年のスポーツ界。

野球に象徴されるように、パワーや体格の差を、スピードと正確な技術でカバーして戦おうとする考え方が広まってきました。

打率2割、ホームラン率1割の長距離法よりも、打率3割で盗塁も守備もこなせる選手の方がどんどん評価をあげてきました。

その結果が、相撲のような力勝負のスポーツの人気衰退や、パワーヒッターの減少につながっているのではないかと思います。

世界と戦う方法論としてはおそらく最善策でしょう。

しかし、これでは、日本国内でスポーツが小さくまとまったものになり、スポンサーのつかない競技は衰退し、スター選手出現の機会をどんどん奪っている気がしてなりません。

こういう風潮があるからこそ、相撲のような単純な力勝負のスポーツに人気が回復してほしいと思います。

JC活動で展開しているわんぱく相撲大会は毎年一定の効果をあげています。

できれば、この事業も一助として、相撲や、純粋な力勝負のスポーツがもっともっと流行ってほしいと思います。

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2009年8月 5日 (水曜日)

アスリートの進路

中学でスポーツで有名になると、あちこちの高校から特待生のオファーがあります。

金銭的優遇は、あまり豊かではない家庭には大きな優遇ですが、最近の傾向は、金銭的に豊かでない家庭でも、息子をプロスポーツ選手にしたい家庭でも、一流大学に進学可能な高校であることが進路決定の一番重要なポイントのようです。

いくらプロスポーツ選手の息子といえで、当然にプロスポーツ選手になれるかどうかは本人次第ですし、むしろ、高卒で即プロで活躍できる選手になることがどれだけ大変かは、親がよく知っています。

それゆえ、就職の保険つきで一流大学に進学させて、プロチームからのオファーを待つのが、親として当然の態度です。

他方で、金銭的に恵まれない家庭でも、目先の高校の学費で息子を売るのではなく、招待的に息子の才能を伸ばしてくれるところ、一流大学に推薦してくれて、悪くとも一流企業への就職を確保させること、を重視している傾向があるようです。

このような傾向を見ると、一流大学と太いパイプにある伝統校や進学校に人気が集まるのだと推測されます。

しかし反面において、外国人留学生の力で学校の名前を売ろうとする新興校に有力選手が集うスポーツもあります。

私が親であれば、大学進学実績のある高校に入れて、スポーツをしたければすればよい、ただし、挫折したら勉強して一流大学に入りなさい、と指導します。

外国人、ある意味で金の力で勝利を得ようとすることの空しさを伝えたいです。

しかし、現実問題として、全国大会での「結果」に着目して進路を決定する生徒が多いのも事実のようです。

全国大会で一定の結果を残せば、有名大学に推薦でいけるという保険が、このような傾向を生んでいるのでしょう。

そう考えると、高校スポーツ界を動かしているのは、有名大学の採用方針だともいえます。

それはそれで、自由競争の世界ですが、個人的には、このように打算的にスポーツをするのではなく、将来をしっかり考えながら、文武両道で頑張って欲しいと思います。

そういう意味でも、もうすぐ始まる高校野球では、進学校・文武両道の学校を応援したくなります。

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2009年4月29日 (水曜日)

チームプレー

スポーツを見ていて誤解してはならないのは、活躍した選手だけがすごいわけではないこと。

1人の選手ができるのは、ホームランを打っても1点をとるだけ、サッカーでは、1人で持ち込みゴールをとることはまずできません。

守備でも、全打者を三振にとることはできず、バックのフォローなくして結果は残せません。

点をとられないよう守る

点をとれるようつなぐ

これらは、結果を出した選手がすごいからではなく、チーム全体の協力の賜物です。

その裏には、選手間の信頼が不可欠です。

ここで、ヒット打ってもどうせ後が続かないだろうな、というのでは力は出せませんし

ここでなんとかつなげば逆転の目がある、と思えれば力を出し切れます

普段から、選手間で信頼形成ができているかが、試合の勝負所で大きく作用してきます。

これは何かを協働する場合も同じで、相手がきちんとやってくれると信頼があればある程度自由にできますし、相手を信頼できなければできる仕事も限定されてきます。

大人になるにつれ、自分らしさ、自由を大事にする気持ちが強まりますが、他人と協働する場面では、お互いの信頼形成をしっかり意識すべきですし、できれば、素で他人に信頼される人間形成を心掛けていくべきでしょう。

誰かがすごいと思っても、その人だけが特別ではなく、力を出せるかは周囲の協力によっています。

ともすれば見落としがちなこの視点を、決して忘れず、社会の中で自分らしく活躍する道を探していく姿勢が非常に大切だと思います。

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2009年4月19日 (日曜日)

国際大会招致のポイント

東京五輪招致の問題が取り上げられていますが、個人的には、今のままでは招致は困難だと思います。

最大のポイントは、日本全体として、あるいは、大阪全体として五輪を招致しようとする強い意志が感じられないところです。

サッカーのワールドカップの招致に際しては、国民の並々ならぬ意志が痛いほどよく伝わってきました。

しかし、最近の五輪招致は、

・とりあえず儲かるから招致する

・五輪招致を主張すれば立場上目立つ

その程度の気持ちでしか招致を動機づけできていない気がします。

その結果、招致活動の合理性に反したところで、個々が自らの利権を訴えたり、招致により大きな利益のあがる業者が、実行委員会任せで、協力しない、フリーライドできるチャンスだけを虎視眈々と狙っている構図が出来上がり、全体として招致に向けた強いまとまった力にはなりません。

五輪を招致したいというのは、特に反対すべき理由もないことですが、だからといって、当然に他人がついてくるわけではなく、招致の必要性を十分に浸透させ、できる限り多くの協力者を集めなければ実現しえません。

五輪にかかわらず、大きな国際大会を招致しようとする際、どうしてもメインスポンサーと一部の政治家だけで話を進めようとするのはよくない傾向ですし、多くの「民」を巻き込まなければ、招致が実現しても、世界に誇る活動ができないでしょう。

今の日本人の率直な意見は、

五輪が来てくれるとうれしいが、ぜひ日本でやってほしというほどではない

というものだと思います。

これが、サッカーのワールドカップを招致した際のように、何がなんでも日本で!

という意識に変わっていかなければ、招致は困難でしょうし、招致にかかわる人は、こうした大勢の意見を地道に変えていく活動が大事であると思います。

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