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2020年9月14日 (月曜日)

判定基準のないテストは捨てよ!

最近の論文式試験は、司法試験に限らず、ほとんどの試験で細かい採点基準が設定され、試験結果が客観的に裏付けられる仕組みになっています。国家試験などは成績開示制度などもあり、必然的にこうせざるをえなくなってきているのですが、こうした判定基準があると、判定基準自体は受験生に開示されないとしても、安心して受験することができます。受験生が一生懸命書いた論文を採点者が何となく読み、字に綺麗さや読みやすさ、内容が採点者個人の考えに合致しているか否かといった要素で判断される試験など、必死に勉強してまで受ける価値はありません。
しかし、私立幼稚園~大学の小論文や実技入試は、この、必死に勉強してまで受ける価値はない、と断じるレベルの試験が未だあり、兄弟枠や推薦枠の受験生は何もせず自動的に合格になる受験生がいる反面、小論文や実技は合格レベルにこなしても、結果ありきでどこかで意図的に減点されて落ちてしまう受験生もいます。このような学校は必死に目指すことの価値はそれほど高くないので、志望先の変更を検討すべきでしょう。
このような理不尽な判定は、試験の枠を外れて活動全般に広げると、いくらでも見つかります。就職活動の内定の基準なんて、どこの企業にもはっきりしたものはなく、結局リクルートチームの中で影響力を持っている人物の主観で決まりがちですし、海外留学プログラムの参加者の選抜なども結局は、参加者の能力や意欲よりも採用者側の主観が大きなウェートを占めると言われています。
法律を扱う人にとっては、あるルールに充足するか否かを判定するにあたっては、ルールを構成要件に細分化し、さらにできる限り細かい要件に分解していって、存在する事実が各要件を充足するか検討するのが当然の行動です。しかし、法の番人たる地裁の裁判官ですら、判決を決断するにあたり、先に結論を決め、理由は後付けする(そのため、普通に判決文を読むと奇異な理由づけになっている)人がそれなりにいます(こうした判決は高裁に控訴すれば速やかに正してくれますので最終的には救済されはするのですが・・)。
人の判断を動かす力は、現代的に非常に重要な力で、試験も、形式的なクローズテストや○×テストよりも、小論文に近い方が望ましいと思います。しかし、採点者が小論文を判定するしっかりとした基準を持っていないのであれば、受験生の苦労は水の泡です。試験にせよ、メンバー選抜にせよ、許認可にせよ、裁判にせよ、まずは判定者を知り、判定者がきちんとした判断基準を持って臨んでいるかリサーチできる範囲でした方がよいのでしょう。そのうえで、判定者が判定基準を持たないハードルにはあえて向き合わない決断も現代的に重要性を増していると思います。

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