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2018年10月 3日 (水曜日)

なぜ学ぶか

子どもには、日本語・英語・プログラミングを教えよと言われます。しかし、その内容をはき違えると無駄に費用をかけるだけの徒労に終わってしまいます。
まず日本語、日本語を学ばなければいけないのは的確なコミュニケーションのためだと誤解している人がいますが、そうではありません。コミュニケーションスキルは社会の中で実践を通じて学ぶべきもので、教師に教わるものではありません。日本語を学ぶべきは、自分に有益な情報を文献から適切に引き出す(自分勝手な解釈をしないことを含む)、自分の意図を不特定多数の人間にできる限り正確に伝えるためであり、日常のコミュニケーションは日本語が不正確でもジェスチャー等で補って意思疎通を果たすことができますが、こうした正確な情報のやりとりのためには正確な日本語の理解が不可欠です。しかし、これは、普通に高校に通い、大学受験をクリアできれば最低限の力は備わり、あえて特段の準備は必要ないのではないかと私は思います。
英語に関しては、インプット(読む・聴く)とアウトプット(書く・話す)に別れますが、「話す」以外は大学受験に全力を尽くしたうえで、大学でTOEICまたは英検に取り組めば私は十分だと思います。重点的に鍛えるべきは話すスキルであり、これは、自信のある人は大学で積極的に留学生とコミュニケーションをとれば自然とレベルアップする反面、自信がなければ「話す」ための努力に着手できず、どんどん差がつくばかりです。ただ、外国人に積極的に話しかける勇気が持てれば後は自然と成長できる部分であるため、そこの自信をつけさせるような塾や学校に通わせるのが1つのやり方です。
プログラミングに関してはITがめまぐるしく変化するこの時代ならではの要請ですが、プログラミング言語もどんどん変化するため、私は子どもに急いで習わせる必要性は感じません。それよりも、プログラミングをするための論理的な組立力や場合分けを網羅的に行う力、エラーの要因を自分が作ったプログラムから見つけ出す力といった実践的な論理展開力を鍛えるのが目的であるように思います。
もし、そうであれば、高校までは数学と化学をしっかり勉強した方が将来的に有益です。この2科目は様々な理屈を駆使して存在する答えを出す科目であり、「答えのある局面」で絶対に答えを出すという気持ちとともに、論理の扱い方を鍛えることができ、それが将来の論理展開力の礎になります。
もちろん、どこにゴールを置くかによってアプローチは変わりますが、現代的に日本語・英語・プログラミングが大事であっても、高校までは大学以降にそれを飛躍的に伸ばすための基礎をじっくり固める方が私は有益だと思います。

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