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2018年6月 6日 (水曜日)

常識を語る非常識との遭遇は事故

「・・・が常識だろ?」と自分の主張を常識の一言で片付けようとする人は時々います。例えばエスカレーターでは片側を開けず、歩いて昇降してはいけないと、公共の場では明記されていますが、未だに片側を開けるのが常識だと信じ、片側を塞ぐ人に説教する輩もいます。
この輩が「常識」という言葉を使うのは、エスカレーター横に明記されたルールを論破するのが困難なため、「常識」の一言でねじふせようとしているにすぎません。この例に限らず、話の中で「常識」を持ち出す人は、自分ではそれが正しいと信じ込んでいるけれども、それをうまく説明できないため、「常識」という強いキーワードで強弁するしかないのです。つまり、常識を語る人間は、その常識が説明できず、すなわち、その主張に根拠がないのです。
こうした主張に根拠がないのを常識でごまかそうとする非常識はこれからも増えていく可能性があります。こうした厄介な人と遭遇した場合、まず選択肢から消すべきは論破することです。その相手は非常識を常識を信じこんでいるため、また、既に論理を放棄しているため、話し合いで説得することは困難です。
世の中にこうした困った人は一定割合います。人の社会に住み暮らす以上、こうした一定割合の人に遭遇する可能性はゼロにはできません。ですので、この遭遇は事故だと諦めることが大事です。非常識を語る輩には何を行っても無駄ですので、適当に笑ってあしらって、その輩との接点を最小化する方が、下手に感情に従って反論するよりも得するわけです。
変な人とは接点を減らすのが一番。自分の感情やプライドよりも、いかに将来の損失を減らすかを考えるのが、現代的な人づきあいの1つのポイントではないでしょうか。

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