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2016年3月22日 (火曜日)

対抗言論すべきかしないかは、評価するのは誰かという視点で使い分けろ

サザエさんのノリスケさんの奔放な行動に対して、「ゴミスケ」などの批判的な意見がネットを中心に盛り上がっている事に対し、脚本家が「不愉快だ」と反論した事が話題になりましたが、これは余計な発言のように思います。
小説や漫画などの作者が時々、書籍の中でファンの批判的な意見に対して反論したり、著名人がファンの批判的な意見に対してツイッターで反論したり、対抗言論が最近よく話題になります。
表現の自由は私人間には直接適用されず、心外な表現行為に対する対応は対抗言論であるのが原則です。
しかし、少し待った。このようなケース、誰が何を評価するのかよく考えるべきです。
小説や漫画などの芸術作品は、それを取り巻く人がその価値を評価して金銭を出すもので、周囲の多数のファンがその作品を評価するのです。
著名人についても、周囲のファンがその著名人を評価して、支持するか決めます。
作品や自分の価値は作者や著名人自ら決めるものではありませんし、ましてやファンに押しつけられるものでもありません。
心外な意見があれば、自分の意図はこうであると下から目線で解説すればよく、上から目線で反論するとただファンを失うだけではないでしょうか。
周囲から批判を受けた場合に採ることのできる選択肢は2つ。
その批判を受け入れてファンの心を維持するか、
ファンを失ってもその批判を受け入れず自分がやりたい事を実現するか
純粋な表現行為の場面では後者が推奨され、それにより対向言論が成立している面があります。
しかし、商業的な表現の場では、まずは人の心をつかまなければいけません。イメージ勝負で、周囲の評価あてこそ自分があります。
こうした状況に応じた、反論するー引き下がるの柔軟な判断が、現代的なネット社会の表現事情の中で今後ますます必要とされてくるのだと思います。

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