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2013年2月27日 (水曜日)

結局は人づきあいが薄いということ

体罰問題が大きく取り上げられる中、相変わらず、親による子の虐待事件が後を絶ちません。
これらは根本は同じで、他人を従わせるために暴力に出てしまったというもの。
さらにいえば、これまでの人づきあいが薄く、他人を暴力を使わずに動かす術を知らないということです。
暴力を使わずに周囲の人とうまくやっている人は間違いなくいます。こちらが大多数でしょう。
普通の人間関係であれば、合わない人とは接しなければいいだけですが、学校や家庭では、人づきあいから逃げられません。
そのプレッシャーもあってか、つい暴力に出てしまうのかもしれませんが、そこで暴力によらずどうすればよいか考えることが大事です。
画一的な答えはないでしょう。相手によって有効な方法は違うと思います。
それでも、うまくいかないその相手にそう接すればうまくいくのか、考え続けなければけません。
あえて画一的な指針があるとすれば、自分自身を省み、周囲から高く評価される人格や言動ができているか検証していくことでしょう。
人間誰しも嫌な人はいます。出会わなければ良かったと思う人もいるかもしれません。
しかし、そうした人とどう接していけばよいか考え続けることによって経験が積め、少しずつですが嫌な人ともうまく接していくことができるようになるでしょう。
これを知らない人に教える、知っている人は実践していくことが、このような事件が多発する中大事なのだと改めて実感します。

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コメント

「なんで人を殴るのか」と問えば、「態度が悪いからだ」と答える。
相手が服従の態度を示さないところが、気に入らないのであろう。
序列メンタリティに対する批判には鉄拳制裁で応ずる。
服従が足りない。当人は、やけっぱちになっている。

日本語には、階称 (言葉づかい) というものがある。
上と見るか、下と見るかの判断を迫る日本語を使えば、モノの上下に関する判断は常について回る。
この世俗的な上下感が日本人の判断を狂わせている。

理性 (理由・適当) 判断がないので、下とみられたものは、上からの暴力に抗することもむずかしい。
序列差法は礼儀作法の一環と考えられていて、無防備状態になっている。
上の者の声は、天から聞こえてくると感じられる。

「下におれ、下におれ」の掛け声は、昔から続いた為政者の要求である。
理屈はない。ただ、指導者の要求のみがある。
世俗の上下制度が唯一の頼りとなっている。
暴力は、「がんばって」の掛け声のようなものか。

序列に基づく精神力 (意気込み・気力) で、大東亜戦争に勝てるのか。
努力の空回りに気が付く時が来た。気力ではなく、知力 (intelligence) で負けた。
我々は、頭を鍛えなくてはならない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2013年2月27日 (水曜日) 22時06分

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