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2011年3月 8日 (火曜日)

記憶に頼りすぎない

人の記憶というのは、確かなようで、かなり不正確なものです。
裁判では、証言が重要なようで、まずは客観的な資料をもとに事件の概要を推理していくことになります。
裁判所は、客観的な証拠を先に読んだうえで、その補足として証言を聞きますので、先入観を持たず、安定した判断ができるのでしょう。
弁護士は逆で、まず当事者の説明を聞き、その後で裏づけ証拠を確認します。
個人の依頼者の場合、多くの場合、客観的な書証を全て保管しているということはなく、どうしても不足する部分があり、これが争いのない事実にかかるものであれば、それでよいですが、まさに、争点となる場合は周辺事情とその裏づけを整理して、細かい主張・立証が必要です。
弁護士の事件の受け方として、もちろん、全ての要件事実が証拠で裏付けられていることを確認したうえで受任することが望ましいのですが、そのような事件は必ずしも多くないことを考えると、ある程度事情聴取し、全体としておおむね確からしい、という心証を抱いた段階で受任せざるをえないでしょう。
あとは、その確からしいと感じた根拠を具体化していくことになります。
ここで、問題なのは、相談者が「間違いない」と、自身満々に答えたことが、客観的な証拠と見比べると、大きく異なることがあり、こういうことがあると、事件がある程度進んでから、方針を大きく変更せざるをえなくなる場合があります。
厳しい言い方をすると、このように記憶があやふやで、書類の整理もできていない方は、あまり裁判には向かず、和解で早期にそこそこの内容で解決してしまうほうが、全体的にみたコストパフォーマンスははるかによいでしょう。
法人か自然人か、あるいは、人の性格などによって、同じ事件の方針を変えることには違和感がありますが、その人が本当に裁判を戦いきれるのか、言い分を全て立証できるかどうかは、受任段階でできる限り正確に読みとる必要があると時々、感じることがあります。

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