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2011年1月14日 (金曜日)

しかられるのは期待の現れ

裁判官が被告人をしかりつけると、減刑の見込みがあると、弁護士はとらえます。
厳罰が明らかな事件では多くの裁判官はたんたんと手続を進め、被告人の内面に深く踏み込みません。
被告人の矯正教化は、もう刑務所に任せてしまっているのでしょう。
それに対し、減刑すべきか迷うべき案件では、裁判官が被告人をしかりつけ、そこで反省が見てとれたら、これを有利情状として斟酌して、減刑するというケースがしばしば見られます。
ふと考えてみれば、これは日常生活でも同じです。
誰も叱られたくはありませんし、叱りたくもないです。
どちらの立場にたっても不愉快です。
そういうわけで、どうしようもない相手には叱らない人が多いと思います。
やむをえず人をしかるのは、その人に改善の見込みがあり、叱ることで、将来有益になりうると判断するからでしょう。
叱られるというのは、不愉快ですが、その人にまだ期待されている証
失敗したのに叱られないのは、もう見放されている証
とまでは、単純にいえないとしても、人間関係の本質は表面的な部分だけを見ていてはなかなか把握しにくいものだと思います。

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