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2010年4月22日 (木曜日)

マニュアル主義を乗り越えよう

判決は読んでいて、この裁判官細かいところまでよく読んでいるな、と関心するものもあれば、この裁判官、当事者とディベートしたら負けるな、と思うものもあります。
後者の一例としては、争点に関するいくつかの間接事実を認定し、これらの事実があるから、この結論になるのだと書くだけで、その間の論理を埋めていないものや、反対の間接事実を全く無視しているものがあります。
争点について、間接事実の優劣で判断するのはセオリーですが、なぜそうなるのかをしっかり明記しないと当事者の納得はなかなか得られません。
当事者の説得・納得を弁護士に任せるようでは、昨日のたらいまわしと変わりありません。
和解でも同じで、「この証拠関係では裁判所はこう判断せざるをえない・・」というのは時々聞きますが、なぜそうなのか当事者に説明できない、説明しだすとおそらく当事者に論破されてしまう裁判官もいるように思います。
これは、何が正しいと思うか、より、ある程度確立された民事事実認定のマニュアルに則ったほうが、複数の意味で「致命的なクレームがつきにくい」判決になるという安心感が生み出す現象なのだと考えます。
私は弁護士として、「この事件は理屈ではこうだが、裁判所はそう考えるだろうな」と割り切れることが多いですが、現実の当事者はそうはいきません。
当事者の納得を得られないことが積み重なれば、国民の司法に対する信頼は少しずつ失われていきます。
もちろん、このような判決が出る理由は必ずしも裁判官の責任だけではないでしょう。
弁護士がしっかり理論構成し、証拠構造もわかりやすく整理して提示したら、少しはわかりやすく理解しやすい判決になるはずです。
断片的な間接事実だけピックアップし、3段跳びのような、スカスカの判決が出るのは、弁護士が証拠だけ訴訟に放り込み、理論構成を裁判官任せにしている事件にありがちではないのかと思います。
裁判に携わる者1人ひとりがもっと理解しやすい裁判を心掛けなければらず、当事者に論破される裁判官や弁護士ではいけないと思います。
その点では、裁判員制度は、これまでの判例主義の裁判官による量刑に次々とメスを入れていき、頼もしい限りの活躍をしています。
司法研修所時代から、セオリーを教育され、大きく外れた訴訟活動をしないよう勉強してきましたが、ある程度の感覚が身についたら、個々人がその信念と良心に従い、時に先例をも打ち破り、当事者にわかりやすく、かつ賛同の得られる結論をもっと追及していくべきなのだと、久しぶりに駄作判決を読みながら感じました。

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