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2009年12月19日 (土曜日)

事実は1つでも

証人尋問を聞いていると、全く整合しない供述がされる場合と、丁寧に読めば事実が読み解ける場合とがあります。

同じ事実でも、見方や表現の仕方によって違う事実のように見せかけることは可能で、一見違うように見える事実をしっかりと見といてニュアンスの違いだと伝えることは結構大事な仕事です。

このようにニュアンスの違いが生じる理由は人それぞれの感じ方もあるでしょうが、人に対する好意・敵意なども現れがちです。

憎めない人間には緩やかな言葉、嫌い・あるいはあまり知らない人間には厳しい言葉で同じ事実が表現される場合があり、ここは人間性で得してる損してるが分かれるところです。

普段から人に好かれることは、意外なところで得する場合もあるようです。

代わって、当事者双方が180度正反対の事実を述べている場合、どちらかが嘘をついているので、裁判所はそれを見抜かなければなりません。

その見抜く題材として、細かい裁判所資料までしっかり読まれます。

このような案件で、相手の嘘を暴くために興奮して大作の陳述書を用意する当事者もいますが、相手方からすれば、手のうちがわかりますし、裁判所もその人の供述を信用する要素にも信用できない要素にも使えます。

代理人としては当事者のすべてを知っているわけではありませんので、私としては、陳述書の形で裁判所に出す事実は自分で説明できる最低限度の事実にとどめ、先に最終準備書面案を下書きし、必要な間接事実を尋問で補充する、という方針をよくります。

陳述書に書かれた事実は真実でも、事件の全体をここから把握することは困難です。

事件全体の把握は口頭弁論終結時ですから、あえて早出しはせず、最後に事件の全体がわかりすっきりできるしくみです。

嘘は言っていない、けれどもその内容は何か、わからないことはよくあります。

大事なことは正確な事実をやりとりすることです。

そのために、表現する側も表現を受ける側も言葉に注意を払ってやりとりしなければならず、証人尋問にはそのことがとても凝縮されています。

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