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2009年9月 8日 (火曜日)

金銭貸付の事実認定論

手持ち現金で貸し付けた

裁判上、そのように主張されることはしばしば見かけます。

自分の依頼者から事情聴取をしてこのような相談を受けた場合、周辺事情も聞いて特段の不合理がなければ、私は結構信用してしまいます。

しかし、裁判所は客観的な証拠の裏づけがない限り、まずこのような主張は採用しません。

歴史的事実はあるが、証拠がないから事実認定できない、というケースは当事者にとってこれ以上ない苦痛で、対応に苦慮するものです。

「手持ち現金を貸し付けた」という主張が採用されるためには、金額によって要求されるレベルが違うと考えるべきでしょう。

大きな金額の場合、せめて貸付直前にその金額に近い現金引き出しの形跡がなければいけないでしょう。

大金を現生で、自宅で長期間保管する行為はリスクばかりでメリットはなく、通常人において考えにくいからです。

対して、比較的少額な場合、通常人においてその程度の現金を持っていても不思議ではないため、貸付の動機や、貸付に至る経緯の自然や合理性が重視されるべきです。

通常、客観証拠があるだろう、というケースでは客観証拠の存否で判断し、通常、客観証拠はないだろう、というケースでは、本人供述の内容とそれに対する相手の認否から積極的に事実認定してほしいと思います。

とはいえ、これらの要素を備えない証拠構造の場合、かなりの確率で反対尋問で崩れます。

証拠がないから事実認定できない、というケースは当事者にとってだけでなく、裁判当事者全員がすっきりしないあとくされの残る解決方法です。

相手方が手持ち現金を貸し付けたと主張する事案では、代理人がただ漫然と証拠の欠如を指摘するだけでなく、反対尋問でしっかりと不備をつつき、納得して事実がないことを受け入れられるよう、積極的に行動すべきで、代理人に求められる役割は大きいと思います。

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