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2009年9月30日 (水曜日)

口約束の内容

口約束に基づく契約の履行を求める裁判がときどきあります。

口約束など、法的保護に値しない、という裁判例もありますが、多くの場合、約束したことは守らせる判決が出ますので、しっかり対応しなければなりません。

ところが、書面にしていない契約ですので、お互いが認識している合意内容が異なり、裁判上争いとなる場合が多いです。

請求原因を主張・立証すべきなのは原告ですので、原告はきちんと合意の内容を特定しなければいけませんが、被告はどうすればよいか。

原告の主張内容が事実と異なれば否認します。

否認のうえに、さらにどういう契約であったかを被告の側も特定しなければならないかというと、主張・立証責任の分担から考えて抵抗があります。

被告の側で契約内容を特定すると、その限度で合意の存在は争いがない、自白が成立してしまいますので、後で契約内容が実は違ったということがいいにくくなったり、自分の主張により、相手が立証すべき請求原因が認定されてしまうこともあるからです。

ここで、平凡な裁判官は、適当に主張立証させて、全裁判資料から適当な合意を事実認定しますが、積極的に訴訟指揮をする裁判官は、被告側にも合意内容を主張させます。

何らかの合意があったことに争いがなければ、請求原因の主張立証責任は原告にあっても、その特定のためには被告も協力し、合意内容を履行せよ、ということでしょう。

とはいえ、被告がどこまで事実を特定すべきかは、大事な問題ですので、事案の性質や依頼者の性格などをしっかりと把握して個別に慎重に対応すべきことです。

何気ない仕事の中にも、実務には難しい問題が常に内在され、緊張感をもって仕事をしなければならないと思います。

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2009年9月29日 (火曜日)

誰の道?

御堂筋にけたたましいクラクションが鳴りました。

何かと思って見てみると、側道に入ろうとする自動車が、タクシーの列のために、入れず、クラクションで警告していたのでした。

何のために側道はあるのか。

御堂筋を進む車、脇道に入る車がそれぞれスムーズに動けるようにするためです。

道をふさいで平気な顔をしていたタクシーの列には、そのことを十分に反省してもらいたいと思います。

しかし、クラクションを鳴らす側も、大阪の中心部で周りにほびきわたるほどクラクションを鳴らす必要はないはずです。

これを聞いて、不愉快に感じた第三者は少なくないはずですし、通常のクラクションで十分タクシーへの警告はできたはずです。

この車の運転手にも、公共の場での節度ある態度というものを理解してほしいと思います。

道はみんなのもの。

誰かがこれを塞いだり、ゴミを捨てたりすればみんなが困ります。

みんなのものだからこそ、綺麗に、整理整頓して使いたいものです。

タクシー運転手にとっては仕事を取るために必死でしょうし、スモーカーにとっては吸い殻の処理が大変ですが、ちょっとした配慮で道の効用を保つことができるはずです。

道だけではなく、鉄道や公園など、様々な場所で大事な心構え。

少しずつでも市民に広がってほしい、広げていきたいと思います。

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2009年9月28日 (月曜日)

完成度をあげる

私は、裁判期日で準備書面の用意を指示されたら、特許訴訟や医療訴訟など、特殊な案件を除き、基本的にその日のうちに準備書面を書いてしまいます。

もちろん、依頼者らに聞かなければ書けないところは空白ですが、それ以外は書けるところまで書かないと家に帰る気がしません。

それは、当日が準備書面を書くモチベーションが一番高いのと、何を書くべきか一番把握しているからです。

同様に、弁論要旨も記録閲覧をしたその日に書いてしまいます。

こうして、一応の形式を備えた書面はできあがりますが、これでは「やっつけの仕事」のレベルです。

裁判所に出す書面は書くべきキーワードさえはずしてなければ、あとは裁判官があるべき結論を導いてくれることが多く、書面の完成度があがらなくても大勢に影響のないことが多いです。

しかし、依頼者や相手方を納得させるためには、通り一遍の書面ではなく、説得力ある書面を作成することが不可欠になってきます。

ところが、この完成度をあげる作業が非常に大変で、下書き書面を作成する何倍もの時間を要し、時には作り上げた下書きを一度すべて壊して再構成することもあります。

弁護団事件や、その他会合などで、なんでこんなに時間をかけて堂々めぐりの議論をするかな、と思いますが、一見無駄に見えるこのやりとりこそ、完成度をあげるために不可欠なことだとよくわかります。

時間がないときは、一瞬で書いた書面を裁判所に出すこともありますが、それではいざというときに人を動かせません。

大事なときに人を動かすには、普段どれだけの修羅場をくぐりぬけてきたかが大事です。

がんばろうが、手を抜こうが結論に影響がなさそうな場合はついつい手を抜きがちですが、そういうときこそ、最高の仕事を貪欲に追求することが真のプロとして大事だと思いますし、決して忘れてはいけないと思います。

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2009年9月27日 (日曜日)

場所を整理する

電車やバスに乗る際、ぎゅうぎゅうにつめこまれたと思っても、うまくお互いの居場所を整理すれば、意外と快適な空間は確保できます。

電車につめこまれた時は、自分の居場所を確保すうrことに必死で、他人を思いやる余裕がないのが、自分の居場所が確保できると、よりより空間を求めて他人と交渉したり、他人を思いやる考えや余裕がうまれてきます。

そこで、うまく相手とウィンウィンな調整ができれば、混んでいるようで結構余裕のある空間ができるのです。

ここでキーになるのは重い荷物を持っている人です。

重い荷物を持っている人は他の人より余裕がないため、車内が混んできても動こうとしないことが多いです。

そういう人を思いやって、うまく空間調整するのも大事ですが、「みんなの空間」をできる限り多くの人が快適に利用するためには、まず荷物を持つ人が、荷物を空間の中で最も邪魔にならない場所に移動させることがより重要になってきます。

リュックを背負ったまま電車に乗らない、座席のうえに荷物を置かないといった至極当然のことはもちろん、網棚の上に乗せる、隅にまとめておくなどの配慮が非常に大事だと思います。

電車に乗る時は、荷物を邪魔にならないところに整理し、混んできたらつめながら、お互いの距離感を整えていく相互の思いやりがとても大事で、それができれば通勤電車も行楽電車も快適に乗れるのではないかと思います。

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2009年9月26日 (土曜日)

歌手のいる居酒屋

ちょっとした用事で沖縄へ行ってきました。

夜の楽しみである食事は地元の歌を歌う歌手の生歌を聞ける居酒屋で沖縄料理と沖縄民謡を楽しむことができました。

満足度は非常に高かったのですが、この歌手が東京に進出したら、あるいは、この手の居酒屋が東京に進出したらはやるかといえば、簡単にはいかなさそうです。

おそらくこのお店のお客の地元の人はあまりいないでしょう。

わざわざお金を払って、町角でいつでも聞ける歌を危機に来るとは思えないからです。

旅行者が、沖縄に来たからには沖縄料理も楽しみたいし、沖縄民謡も聞きたい、そうした要望にこたえたのがこの形態のお店だと思います。

東京なら一流の音楽を聞きながら食事を楽しめるホテルやバーは星の数ほどありますし、沖縄で成功したからといって、東京でも成功するとはいえない環境があります。

せっかく郷土が育んだ文化と才能です。

決して無駄にしてほしくはありません。

地元では秀でたものがよそでは受け入れられないということはままあることです。

郷土のものは郷土で育てる。よそで通用しなかったら帰ってこさせて再び育てる、そうした姿勢が育児やスポーツ選手の育成の場面だけでなきう、文化を維持・発展させるうえでも大事だと思います。

なんでも東京に、世界に出ればいいものではない。

身内だけにしか評価されなくても、それだけでも十分誇らしいことである。

そうした観点から人間や文化を評価し、育てていく考え方が大事だと思いました。

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2009年9月25日 (金曜日)

能力相応

消費者金融業者の裁判は弁護士でない社員が担当することが多いです。

法律的に素人であるため、誰かが別件で書いた主張書面をその意味もわからずコピペして、出してくるため、「・・・という理由で当該主張は失当である」というマジレスをするのが大人げないと感じることもあります。

最近の消費者金融業者の中には、過払い案件は最終的に言い値で支払うことになっても、ある程度引き延ばせればよい、と考えている業者もあるようで、「多忙」と「素人」を盾に、主張を小出しにし、時間稼ぎをしてくるところもあります。

これを我々若手弁護士がすると、裁判官にこっぴどくしかられますが、ベテラン弁護士や業者の社員にはおとがめはあまりありません。

それはできる子が努力しない場合、教育的意味で叱りますが、できない大人、もしくはキャパを超えた大人に何を言っても無駄という、教育上の問題と似ています。

要はその人の能力相応の対応をするという態度です。

消費者金融は大手法律事務所が抱えるよりはるかに多数の訴訟を抱えているようですので、素人社員に任せて時間がかかるのは多少は仕方がないですし、引退間近のベテラン弁護士が古い判例を持ちだして、現在では失当な主張を展開しても、きちんと逐一反論しなければいけないのもある程度は仕方がないです。

しかし、だからといって、訴訟が、一般的なスピードより著しく遅くなってよいわけではありません。

その対策としては、裁判所がそういう訴訟追行者に対し、一定の場面で手綱を引き締めるとともに、相手代理人も、早く的確な主張で、素早く相手を追い詰める(無理筋な部分は深追いしない)ことが大事だと思います。

裁判のスピードは相手代理人の対応や能力にも左右されます。

いかに相手代理人の能力にあわせた弾力的な対応ができるかも大事な要素であると思います。

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2009年9月24日 (木曜日)

情報の受け手の考え、情報閲覧の自由

レシピの参照先として最も多いのはネットのようです。

本は読むのが面倒くさいし、人に教わるのは方が凝る。

気楽に欲しい情報を探せて、気楽に読めるネットに人気が集まるのは必然です。

本や教師は、不特定多数の人から金銭をもらうかわりに満たす義務があるので、どうしても内容が硬直的になりますが、ネットは見る側の自由で見ることができますので、気楽に情報発信でき、結果として、情報の受け手にわかりやすい内容にすることができます。

情報発信の基本的構造で、自分が発信したい内容を書くよりも、読み手が読みやすい内容を発信することが、読んでもらう秘訣だといえます。

様々な仕事の情報も、本からネットへ、ネットからブログへ今後どんどん移行していくと思います。

表現の自由は何より大事ですが、

それよりも表現を受け取る自由が大きくなってきています。

今後は、いかに受けてが興味をひく情報発信が大事になってきますし、公共の場所などで、強制的に特定広告の受領を余儀なくされることは社会的に問題視されていくと思います。

表現の自由があるから自由に発信するのではなく、どうすれば受けてに受け止めてもらえるか、常に意識しながら、情報発信していくべき時代になったのだと思います。

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2009年9月23日 (水曜日)

大型連休は必要か

ゴールデンウィークに次いで今年2回目の大型連休。

しかし、あまり歓迎された意見が多いというわけではなさそうです。

大型連休の大きな目的は旅行ですが、年に2度も旅行に出かける余裕のある家庭はあまりありません。

シルバーウィークは、ゴールデンウィークに旅行に行けなかった人にもう1度与えられたチャンスとしかとらえられていないようです。

連休の旅行はどこも高く、混雑しているため、旅行は連休を避ける傾向も広まっています。

仕事をする男の側からいえば、連休となると、どうしても、家族を満足させるべく企画・実行しなければならず、休息はとれません。

それなら、3連休が2週続くほうが、1週間の仕事の負担も、家庭での負担も減り、はるかによいということになるでしょう。

私も、5連休よりは、3連休が2週続くほうが、大変ありがたいです。

そういうわけで、ゴールデンウィークがある以上、シルバーウィークはあってもそれほど大きな意味を持たない、というのが実際のところだと思います。

ところで、旅行とは、大金をはたいて遠出することばかりではありません。

近場にも楽しい場所はいろいろあります。

地元だからいつでもいけるし、とか

いつもCMやパンフレット目にしているけど、行ったことはない

といった地元の観光スポットを日帰りでしっかり楽しむことも大事ではないかと思います。

連休だからといって、大金を使う必要はありませんし、かえって疲れるのは悪手です。

いろんな意味で負担の少ないやさしいレジャーを楽しむことが今後ますます大事になってくると思います。

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2009年9月22日 (火曜日)

高速道路料金無料化は必要か

高速道路を無料とすべきではないかという議論があります。

高速道路が安くなれば、利用者が増え、消費が増える、というのは確かにそうでしょう。

しかし、この方策には2つクリアしなければならない問題があります。

まず、すでに始まったUターンラッシュに見られるように、皆が高速道路を使うと車は動かず、結果として下道を走ったほうが早い可能性もでてきます。

車が動かないと物流業界は悲鳴をあげ、結果として消費に悪影響を及ぼします。

もう1つは、電車で旅行に行く人にマイカー旅行を促進させると、CO2排出がどんどん」増えることです。

今後余計な道路建築を見直していくべきこと、消費へのインセンティブを与えることは非常に大事ですが、これを高速道路の料金引き下げで対応していくには対処しなければならない課題が多々あるといえます。

国民を、車ではなく電車で出かけるようインセンティブは与えられていくべきですし、消費への刺激はもはや消費税減税でしか効果が望めないのではないかと思います。

シルバーウィークの高速道路の混雑とCO2の25%削減目標は、奇遇にも、高速道路の料金問題に大きな問題を投げかけています。

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2009年9月21日 (月曜日)

臨時列車が必要では?

連休の中日、日帰りで行けるところとして、高野山に行ってきました。

高野山自体はとてもいいところです。

しかし、電車は混みすぎだし、車は多いし、やや移動に不満の残る旅行でした。

車が多いのはまあ仕方ないでしょう。

駐車場の数には限りがありますし、駐車場がなくても車でしか移動できない人もいるので、駐車場や道路のキャパに限らず、混雑は避けられません。

しかし、そうであれば、電車での移動を充実させるべきです。

しかしながら、ホームは人であふれているにもかかわらず、電車が来ないということがしばしばあり、これが混雑とストレス増進につながっていると感じました。

単線でも、ダイヤを調整すれば、電車の本数は増やせるはずです。

現に、ケーブルカーの方は増発により、かなりの旅行客を効率よくさばいていたように思います。

車であまりいってほしくないところほど、代替輸送手段を活発化させて行かなければなりません。

このままでは、事前に予約して特急料金を払って特急に乗れと言わんばかりに、特急利用者と普通利用者に差があると感じました。

目的地に何で行くかは自由ですが、もう少し、人の移動の多い日だけでも、電車が増発し、人をうまくさばく努力が必要ではないかと思います。

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2009年9月20日 (日曜日)

アピールすべきもの

最近のCMを見ていると

何をアピールしようとしているのかわからないもの

印象には残るけれども、商品や会社の印象は残らないもの

がしばしば見受けられます。

多額のお金を払って、その程度のアピールしかできなくていいの?と思います。

CMにしても、社交場の自己紹介でもいろいろ、PRの場はありますが、何をPRすべきかまずしっかり考えなければならないと思います。

PRの手法は様々です。

一体感を表現するなら一糸乱れず揃ったダンスでおよいでしょうし、

楽しい空間を表現するなら漫才もあるでしょう。

しかし、PRすべき内容とPR内容がずれていたら、結果としてPR内容のみ記憶に残り、PRは失敗に終わります。

あの面白いCMってA社のCMやったん?

と意外に思われているようでは駄目でしょう。

売るべき商品の特徴を整理し、それを印象に残る意外な形で提示できるのが良いCMといえると思います。

最近のCMは、商品の印象が残らなくても、社名さえ覚えてもらえれば最悪それでよい。

と妥協した戦略でいっている会社が多いのではないかと感じます。

結論はそれでよいのかと思いますが、その前に、商品を売り込むべき十分な努力をしたかどうか、一度見直した方がよいのではないかと思うCMが多々あるのも事実で、今後どう展開するか注目される点でもあります。

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2009年9月19日 (土曜日)

敗者なき戦いの意味

最近では全員が主役の演劇や全員1等になれる運動会をする幼稚園や学校が増えているようです。

努力したのに結果が出ないのはかわいそうだ

努力したのに結果が出ないと努力する気持ちがわかなくなる

などという理屈には確かに一理あります。

しかし、これでは本当の喜びは伝わりません。

1人しかとれない優勝に向けて、精一杯努力し、辛い思いをしたからこそ、優勝したときのうれしさが格別なのです。

結果が出なければ努力しても無駄だとか、一生懸命頑張っても、周りもがんばるから優勝できる可能性は低いだとか、こうした考えは努力を怠る言い訳にすぎません。

そして、このような考え方は、簡単に結果が出るという餌でつるのではなく、しっかりと親や知人から、努力することの意味・かっこよさ、勝ったときのうれしさを教えていくべきなのでしょう。

そういうわけで、みんな勝つようななれあいの戦いは見たくありません。

逆に本当の真剣勝負は、他のスケジュールを調整してでも見たいものです。

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2009年9月18日 (金曜日)

名前を覚える

「杉本」は似た名前が多いせいか、よく名前を間違われます。

「辻本」や「藤本」と間違われるのは仕方ないでしょう。

こちらの発音が悪かったり、電話を通じる中で、声が聞きとりにくいということもありえるからです。

しかし、「杉山」や「杉原」と間違われるのは心外です。

聞き手や呼び手が注意を払っていないとしか思えません。

ビジネスコミュニケーションの基本は電話と電子メールですが、直接顔を見て話さないため、言葉がすべての印象を形成します。

ちょっと名前を間違うことは、発信者に悪意はなくても、受け手は「この人は注意散漫ないい加減な人だな」と思ってしまうかもしれません。

話の内容よりも、名前をしっかり覚えることが、コミュニケーションをするうえでまず大事だと思います。

速読をマスターして、大事なことを読み飛ばしたり、頭に入らなかったりしては意味がありません。

コミュニケーションの大事な要素はもちろんその内容ですが、それ以前に先方の名前をしっかり覚えるべきですし、そうしていきたいと思います。

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2009年9月17日 (木曜日)

ドア横に立つ責任

エレベーターに乗っていると、ボタンの前にわりこんできた人がいました。

私は、ボタンの前があいていると、そこに立って、階のボタンを押し、開閉操作をして、最後に出ます。

今日もそうしていたのですが、わりこんでいた人は何ら行動することなく、目的の階につくと一番に降り、出ていきました。

エレベーターの移動は、呉越同舟、一蓮托生で、ボタンの前に立つ人が同乗者のスムーズな移動のために、ささやかな配慮をするとうまく運びます。

これは個々人の良心や考え方の問題でしょうが、ドア脇が特別な場所だということは皆、意識してほしいなと思います。

電車でもそうですが、ドア前は人の出入りがありますので、次にすぐ降りる場合以外はあまりたたない方がよく、奥につめるべきです。

ドア脇は、自分が降りるときには便利ですが、降りないときは、他の乗客の邪魔になる場合があります。

ましてや、ドア脇に無理やり割り込んだ場合には、たいてい邪魔になるでしょう。

ドア脇は、自分が出入りする便がある反面で、周囲の人に邪魔にならないよう配慮しなければならない場所だと思います。

社会の中で自分が「邪魔」と思われているということは、他人から指摘されないとなかなか気づかないことです。

ちょっと邪魔に感じる程度であれば、見過ごすのも思いやりですが、嫌味にならないよう指摘してあげるのも思いやりだと思います。

言い方もタイミングも難しいことで、うまくいけば、少し社会がよくなり、失敗すれば人間関係が悪化する行為です。

しかし、自分の気の知れた人に対してなら言えることです。

適当なタイミングで、うまく指摘できるよう勉強していければいいなと思います。

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2009年9月16日 (水曜日)

弁護人は被告人のパシリか裁判代行人か

金がないので、葉書を1枚めぐんでもらい、弁護士に手紙を書く。

拘置所では結構あるようです。

本来であれば、弁護士が定期的に接見に行き、裁判準備以外でも丁寧に被告人をフォローしていかなければならないのでしょうが、中にはぜんぜん接見に行かない弁護士もいるのでしょう。

拘置所に1回接見に行くと昼間の貴重な2時間を割かれます。

刑事事件は引き受けなければならないが、刑事事件を引き受けるならしっかり時間をあけろとなると、いささか理不尽な感もします。

私の場合、①受任後即接見と、②期日直前(1~3日前)打ち合わせは、全ての事件で対応しており、これに加え、必要があればその間に、中間打ち合わせを入れます。

十分な接見回数とはいえないかもしれませんが、被告人の生活や訴訟追行に支障のない活動は確保していると思います。

ところが、時に、毎週、下手をすれば、接見をした翌々日に接見要望が届く場合があります。

なんとか時間を調整して行ってみれば、ただの雑談を求められたり、パシリのような仕事を求められることが結構あります。

身柄を拘束されて自分でできることが限られていますので、杓子定規に断るのではなく、ある程度は応じてあげなければならないと思いますが、何でもかんでも弁護士が被告人のパシリになるというのはおかしな感じが否めませんし、そうであれば、刑事弁護人のなり手は少なくなるでしょう。

依頼し、依頼される信頼関係を築かなければならない間柄であるにも関わらず、どこまで要求を飲んで、どこからは断るかの駆け引きをするのは非常に抵抗感があります。

どうすれば被告人の要求が満たされつつ、弁護人もスムーズに仕事ができるか、個別具体的にしっかりと対応しなければならない非常に高度なスキルを要する事件だとよく思います。

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2009年9月15日 (火曜日)

バスの走る町

移動のため、とある路線の駅から別の路線の駅まで移動するために、バスに乗りました。

当然、まっすぐ向かうのかとおもいきや、目的地とは逆の方向に走り出し、ぐる~~っとまわって目的地に行ったため、非常に時間がかかりました。

乗客もよたよた歩く老人が多く、もし、時間に追われていたらいらだったかもしれない状態でした。

しかし、これが市バスのローカルサービスを考えれば、これが当然なのでしょう。

時間が正確で速い電車と、小回りの利く自動車ばかりが移動手段として注目されていますが、線路を敷けない地域で、車を運転できない人もたくさんいます。

そうした人たちが生活に支障なく移動するために、駅始発・駅終点で、駅から歩けない地域を網羅するバスサービスは必要不可欠です。

駅近のマンションの居住者は電車と駅が拠点

住宅地の居住者は自動車と駐車場が拠点

というのがさも当然のようになりつつありますが、細い道にも入ってくるバスに乗り、地域の人と会話をし、病院や銀行に出かける。

これも、町のあるべき姿です。

1週30分として、10人乗ったとしても採算がとれるかどうか。

バス事業はいろいろと厳しい面がありますが、採算路線で収益をあげ、ぜひとも町のために、不採算路線も残してほしいと思います。

バスは車や電車より乗りやすい良い乗り物です。

ここ数年全く乗っていませんでしたが、ひょんなことから、バスの存在感と素晴らしさに気づくことができました。

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2009年9月14日 (月曜日)

近くから、将来を狙撃する

債務整理案件は、さまざまなCMの効果もあってか、「手遅れ」状態になってから相談に来る人が減りました。

相談だけで、現実の依頼までは・・という方もおられますが、その時点でどのようなリスクがあるかを伝え、どう行動すべきかを教えるだけでも大きな意味がありますので、良い傾向だと思います。

他方で、離婚と相続問題は泥沼になってから相談に来るケースがまだまだ非常に多いです。

特に証拠が散逸した後の相続案件は、事実と立証責任と感情論のはざまで、非常に複雑な構造を生みだし、解決が難しくなることがあります。

これらの件を見ていると、まだまだ弁護士は市民に近い存在ではなく、もっと身近な存在としてアドバイスしていくべきだと感じます。

個人的には、弁護士としての収入は減っても、激化した紛争の消化の報酬を得るよりは、紛争が大きな火種となる前に、効率よく消していく事前法務の方に興味があります。

地裁の周りに法律事務所はたくさんありますが、これが家裁の周りや、もっと身近な町単位で広まると、「ちょっと相談」が気軽にできるようになり、事件を大きな問題にする前に解決することができるでしょう。

そうなると、われわれの業界の生き残りが大変になるわけですが、医者は病気を広めないため、市民の身近な場所で活躍しています。

我々弁護士も生活に支障のない範囲で、どんどん市民の身近な場所に進出していかなければならないと思います。

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2009年9月13日 (日曜日)

人を動かすモチベーション作り

先週の週末はすごく暑かった記憶がありますが、今週末は雨もあってかなり涼しい週末となりました。

淀川花火の運営に携わらせてもらったのがつい先月。

暑い夏だと思っていたのが急に秋になってしまった感じがします。

それとは逆に、スポーツ界は非常に暑いシーズンになっています。

プレーオフ制。入れ替え制にはいろいろな意見がありますが、結果として国内スポーツを盛り上げる大きな効果をもたらしています。

メジャーリーグやプレミアリーグなど、テレビ放送ではレベルの高い試合を見る傾向が強くなっていますが、応援では自分が愛着を持つチームを応援したいのが心情です。

反対に、自分の応援するチームが無気力な試合をするのが嫌なのも心情です。

要は真剣勝負の機会が欲しかったのです。

それをもたらしたプレーオフや入れ替え制度は、結果が納得のいかないものとなってもやはりスポーツ界を盛り上げるという目的は大きくはたしています。

アジアシリーズよりも、クライマックスシリーズ争いの方が盛り上がるのは、後者の方が真剣勝負だから。

CS出場を争うチーム、入れ替え枠を争うチームのファンは、このシビアな戦いを試練と思わず、真剣勝負の機会と考えて、流れに乗ることが大事だと思います。

人を動かすことは自発的に動かす動機を提供すること。

スポーツ界は選手やファンを自発的に動かす良い制度を発案しました。

人を動かす立場の人は、ただマニュアル通りに行動するのではなく、何らかのかたちで、人を動かすモチベーション作りを考えて動くべきだとよくわかります。

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2009年9月12日 (土曜日)

大阪の町と企業の共生

企業の社会貢献に関するフォーラムに参加してきました。

企業が大阪という町と共生していくにはどうすればよいか?

簡単にいえば、企業が大阪に愛着を持ち、大阪の企業として誇りをもって活動すること、大阪の町も、企業が活動しやすい環境を提案することが大事だということです。

しかし、そうするために、何をしていけばよいのか。

これが非常に難しい問題で、なかなか理解ができません。

環境によりやさしい製品や製造法を追求する。

時代のニーズにあわせて細かな対応をする。

収益金を地域に還元する。

まず従業員の待遇の改善・確保をしっかり固める。

いずれも方法論として正しいと思いますが、「正答」ではないと思います。

コンプライアンスの上にさらに上積みしていくのがCSRや社会貢献です。

企業が利益追求のためだけの媒体であれば、税金や人件費の安いまちが最もよい立地となるでしょうし、そのような姿勢ではコンプライアンスもままならないでしょう。

企業が利益追求だけでなく、費用がかさんでも社会的に価値のある活動をしていきたい、という意識をもってきているのは非常によい傾向です。

ただ、それはどこで行ってもよいというわけではなく、企業のイメージアップの手法で終わってはもったいないと思います。

企業は町あっての存在です。

大阪が多くの企業の力でさらに活性化していくためにも、今一度、大阪の良さ・悪さを再認識し、良い部分を伸ばし、悪い部分を解消する地道な作業が大事であると思いました。

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2009年9月11日 (金曜日)

取捨選択

人は意見します。

意見は最初から的確妥当なものであればそれにこしたことはありませんが、なかなか最初から完璧な意見は出せません。

思いついたことを提案していき、その中から取捨選択して、良い意見をとりいれていく、そういう流れになります。

つまり、なんでも話してみること、その中から自分の基準で、よいものを選別していくことが、よい意見を形成する大事なポイントになります。

これを裏返すと、人の意見の大半は的確ではない、ただの思いつきです。

人が言った意見がおかしいと感じただけで、意見者がおかしいわけではありませんし、批判的な意見が出たところで、必ずしも真に批判されたわけではありません。

人の意見を何でも取り入れてしまうと、矛盾を生じますし、噂というものは、誰かが思いつきで言った推測を安易にとりこんでしまうことによって広まってしまいます。

人の話すことは90%テキトー

とまで言ってしまてよいかは迷いがありますが、情報や考えを整理するコツは、お互いに何でも話す、その中で、重要なものだけを選別して残す、この作業が大事です。

批判的な意見は言ってはいけなのではなく、言われる側に配慮した言い方を心掛けて発言し、その重要性を評価していくべきでしょう。

批判的な意見にアレルギーのある人

他人の意見をすべて鵜呑みにしてしまう人

他人の意見をすべてスルーする人

人はいろいろいますが、他人の意見を適度にスルーし、必要なものをしっかりおさえる、そうした姿勢が大事だと思いますし、伝えていきたいと思います。

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2009年9月10日 (木曜日)

いつ目覚めるか

目覚ましをかけて寝る。

目覚ましが鳴る。

ここで起きられれば問題はないのですが、なかなか起きられないのも事実です。

人の眠気はパルスで、眠気が上がった後、寝ていないのに眠気が下がっていくことがあります。

体が「眠い」というシグナルを出している時に無理に起きるのは体に負担がかかるので、「あと5分」寝て、体に負担が少ない時間帯に起きる、というのは、健康を意識した行動といえます。

とはいえ、体が本当に疲れていると、「あと5分」寝ても体は起きず、寝坊となります。

やはり大切なのは無理なスケジュールをこなそうとせず、体に見合ったスケジュールをこなすことです。

年をとるごとに体力が低下していくことも頭にいれたうえで、自分のキャパにみあった最大効果をもたらすスケジュールは何か、しっかり考えて、実践していかなければならないでしょう。

我々の職業は、ちょっとした寝坊が、職責をかけた責任問題に発展しかねません。

だからこそ、睡眠時間と労働時間の管理にはしっかり気をつけるべきなのでしょう。

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2009年9月 9日 (水曜日)

聞き手を意識した仕事

昨日、ただの覚せい剤取締法違反被告事件にずいぶんたくさんの傍聴人が並んでるな、芸能人の事件かな、と思っていたら、裁判員制度の事件でした。

この事件、裁判長から検察官にかなり指摘があったようです。

「裁判員がわかる言葉を使い、専門用語をできる限り使うな」

いまさらながら、至極もっともなことですが、意識しても簡単にできないことだというのがよくわかります。

裁判員制度では、法律素人がわかりやすい言葉で説明することを決して忘れてはならないことを、改めて教えてくれました。

しかし、この姿勢は、裁判員案件だけ意識していればよいものではありません。

普段の法律相談も、相手は法律素人です。

裁判所に話す言葉と同じ言葉を使っても十分に理解はできないでしょう。

できる限りわかりやすい言葉を使い、理解と納得を繰り返しながら、事件を進めていくことが、事件を円満に解決していくため、信頼関係を築けるために、一番大事なことではないかと思います。

弁護士は裁判をする人ではなく、裁判する内容をわかりやすく説明する人であるべきです。

法律素人を相手にしない検察官が陥ったポイントは、今後、調書作成の面などで応用してほしいと思いますし、われわれ弁護士は、独りよがりに事件を進めず、依頼者にわかりおやすい事件処理を常に心がけていかなければならないと、裁判員制度上の問題をしっかり受け止めるべきだと思いました。

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2009年9月 8日 (火曜日)

金銭貸付の事実認定論

手持ち現金で貸し付けた

裁判上、そのように主張されることはしばしば見かけます。

自分の依頼者から事情聴取をしてこのような相談を受けた場合、周辺事情も聞いて特段の不合理がなければ、私は結構信用してしまいます。

しかし、裁判所は客観的な証拠の裏づけがない限り、まずこのような主張は採用しません。

歴史的事実はあるが、証拠がないから事実認定できない、というケースは当事者にとってこれ以上ない苦痛で、対応に苦慮するものです。

「手持ち現金を貸し付けた」という主張が採用されるためには、金額によって要求されるレベルが違うと考えるべきでしょう。

大きな金額の場合、せめて貸付直前にその金額に近い現金引き出しの形跡がなければいけないでしょう。

大金を現生で、自宅で長期間保管する行為はリスクばかりでメリットはなく、通常人において考えにくいからです。

対して、比較的少額な場合、通常人においてその程度の現金を持っていても不思議ではないため、貸付の動機や、貸付に至る経緯の自然や合理性が重視されるべきです。

通常、客観証拠があるだろう、というケースでは客観証拠の存否で判断し、通常、客観証拠はないだろう、というケースでは、本人供述の内容とそれに対する相手の認否から積極的に事実認定してほしいと思います。

とはいえ、これらの要素を備えない証拠構造の場合、かなりの確率で反対尋問で崩れます。

証拠がないから事実認定できない、というケースは当事者にとってだけでなく、裁判当事者全員がすっきりしないあとくされの残る解決方法です。

相手方が手持ち現金を貸し付けたと主張する事案では、代理人がただ漫然と証拠の欠如を指摘するだけでなく、反対尋問でしっかりと不備をつつき、納得して事実がないことを受け入れられるよう、積極的に行動すべきで、代理人に求められる役割は大きいと思います。

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2009年9月 7日 (月曜日)

誰のための判決文?

民事訴訟の判決文は順に

結論 当事者の主張のまとめ 裁判所の判断

の順にまとめられていることが多いです。

結論を冒頭で一目で確認でき、その後、その結論に至った理由を確認するうえでは非常に読みやすい構造です。

ところが、時々、詳細に当事者の主張がまとめられた後、裁判所の判断はちょっとだけ。

という判決に出会います。

裁判官という優秀な人材に、わずかな裁判所の判断に対して、多くの事務作業を課すのはずいぶん能力の無駄遣いだなと思います。

当事者の納得だけを考えれば、裁判所の判断を懇切丁寧に、わかりやすく書くことに腐心したほうがよいように思います。

しかし、そうではなく、当事者の主張整理という事務作業に力を入れるのは、控訴審を想定して、控訴審がすばやく的確に事件を処理できるように、という視点に着眼しているのではないかと感じました。

ある意味、地裁の高裁に対するホスピタリティですが、裁判所は当事者よりも上級審に親切な裁判をしてよいのかという疑問はあります。

高裁を想定して、事件処理を早め、よって紛争の早期解決を目論むとしても、当時者の主張が裁判所の判断よりも圧倒的に多い判決はあまり良い判決とは思えません。

私なら、そうした裁判では、当事者が積極的に争う心境を考慮し、裁判所の判断を、同じことの繰り返しになっても、丁寧にわかりやすく書くと思います。

ほかに何らかの意味があるのか、判決文のあり方には今後も注目していこうと思います。

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2009年9月 6日 (日曜日)

冗談が通じない関係

2日前の話ですが、弁護士会のレターケースのセクハラに気をつけるよう呼びかけるチラシが入っていました。

ボディタッチや性的発言などは明らかなセクハラなので、多くの人はしっかり意識して対応していますが、セクハラにはもっと日常的な会話も含まれ、その点の意識を呼びかけるチラシだと思います。

たとえば、交際者の存否を尋ねるのも、時と場合によりセクハラに該当します。

しかし、これがセクハラだとは、発言している人も聞いている人も気づかないことがあり、そこに問題があります。

私が考える、発言が許されるか冗談ですまされるかのメルクマールは2つ。

1つめは距離を自在にとれるかどうか

職場のような必然的に顔を合わせる環境では、距離を置きたくてもおけないので、発言に気をつける必要がありますが、自由参加の宴席などでは、そのあと、距離をおけばよいので、ある程度の冗談は許容されるべきです。

2つめは関係の深さ

職場など、年齢差もあり、距離もおけない環境でも、しっかりコミュニケーションがとれておれば、冗談は冗談ですまされますが、自由参加の合コンやこれに類した会合でも、初対面でいきなりはじけすぎると、思わぬトラブルに発展しかねません。

場を盛り上げるには、何でも話していくことが大事ですが、男女関係や男女の差異に触れた発言をする場合には、その関係をふまえ、発言していいかどうか、一寸考えてから発言するよう意識していくことが、非常に大事で、現代の社会構造を反映しています。

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2009年9月 5日 (土曜日)

わずかな差?

サッカーの日本対オランダ戦。

点差を見て惨敗と評価する人もいるでしょうし、点差は3-0だが、善戦した。そう考える人もいるでしょう。

私はわずかな個人能力の差で完敗と評価します。

失点はいずれも、崩されての失点ではなく、マークがついている中で、うまくコースを狙った正確なシュートを決めたもので、シュートを外したり、マーカーの体に触れることとは紙一重で、失点につながるか否かは、確率的な要素が否定できません。

だからといって、また、試合の多くの時間失点しなかったからといって、日本とオランダの差がわずかとはいえません。

失点は、オランダ選手の反応・反転に要する時間・トラップ、パス、シュートの正確さの差が現れたものですし、失点しなかったシーンも偶然失点しなかっただけの面もあります。

対して、日本はこれらの運動能力で劣るため、ちょっとしたマークをはずすチャンスを作れず、シュートもあまり正確ではないため、決定的なチャンスはなかなか作れませんでした。

ほんのわずかな運動能力の差ですが、それがチームとして大きな差をもたらし、試合内容としては完敗というべきでしょう。

ワールドカップでは、そうしたチームに勝たなければ、決勝トーナメントにはいけません。

運動能力の差は、練習で地道に埋めるしかないので、そうするとともに、どうすればその差があまり現れない試合運びができるか、じっくり考えて準備してほしいと感じた試合でした。

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2009年9月 4日 (金曜日)

当事者を憎んで代理人を憎まず

裁判官の心証開示に反対したとき。

一貫しない態度をとったとき。

そんなとき、裁判官の機嫌は悪くなります。

そりゃそうでしょう。

法に則って適正に事件を裁こうとする中で、こうした人間は「異物」で、適正な事件処理を妨げるからです。

しかし、それを代理人にあたらないでほしいと感じています。

怒りをぶつける相手が代理人しかいない

代理人からもっとガツンと本人に言い、説得しろ

そうした心境もわかりますが、平均的な弁護士はすでにこれを実践しています。

最初から負け事件を受任するのは閑古鳥の鳴く法律事務所だけでしょうし、

ふらふらした態度をとられると、困るのは代理人ですから、人によってキャパが違うでしょうが、たしなめるのが普通です。

こうしたことが起こるのは、裁判所も、合理的な判断しかできず、和解が成立しない人間の心理を理解もしくは許容ができていないからだと思います。

それは、裁判は裁判所に出された資料から判断され、出されていない資料を引用したり、勝手な憶測をはらんではいけないという構造によります。

当事者が、合理的に動いてくれず、コントロールできない場合、弁論準備などで、こっそり裁判官に事情を説明し、裁判所に事件処理を予測・修正する機会を与えることが大事だと思います。

これも、弁護士の裁判技術の1つ。

「裁判所は何でも理解してくれる」ではなく、「裁判所にすべて理解してもらえるよう」活動することが、今後ますます求められてきそうです。

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2009年9月 3日 (木曜日)

日本人は3度の飯よりスポーツが好きか?

2016年五輪開催地が来月決定します。

立候補している東京は、施設や治安など、客観的な受け入れ要素でリードしながら、主観的な受け入れ要素で遅れています。

五輪の東京開催に反対する意見が20%以上あるというのは、結構異例な話だと思います。

スポーツ界が盛り上がるのは大賛成だが、そのために五輪を開催するのは財政面などでリスクがあるという意見が結構強いのでしょう。

スポーツは好きだけれども、金を出すのはほどほどに。

個人としても法人としてもそうした考えが強いため、企業頼みの体質がぬぐえない、そうした日本スポーツ界の構造がここにも表れています。

スポーツは文化で、人と企業が支えていくものだと思います。

人と企業がスポーツを好きに、これがなくては困る、という気持ちになれば、各自がそれぞれのできる範囲でスポーツの反映に力を尽くします。

それができないのは、スポーツが心から好きではなく、あってほしいが、必ずしも不可欠なものではない、という気持ちの人が多いのではないかと推測されます。

その結果、一部の企業に負担が集中し、限界をこえた際、当該スポーツ界自体の存亡にかかわる問題となります。

これは、エンターテインメントの種が豊富な日本ならではの事情もあるでしょうし、企業を動かす人間が本格的なスポーツを経験していない事情もあるでしょう。

勝利至上主義が先行し、お金のあるチームばかりが先走り、そうでないチームがしらけてしまう傾向もしばしばみられます。

そうではなく、純粋にスポーツを楽しむ気質を醸成していかなくてはならないと思います。

大人も子供も男性も女性も、勝敗より「やること」に重点を置いて純粋にスポーツを楽しめる環境を作っていかなければ、「プレーヤー」と「出資者」が早い段階から分離する社会では、真のスポーツ文化ははぐくめないと思います。

どのスポーツでもいい、できる限り多くの人が学校や地域で楽しくスポーツをできる環境作りを、少しずつでも各所で進めていく必要があるでしょう。

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2009年9月 2日 (水曜日)

贅沢なダイエット

腹のふくれる低いカロリー商品がダイエット商品として人気を集めています。

ダイエットの基本はカロリーを摂取しないこと。

しかし、単純に食べないだけでは空腹感がつらいうえ、これに耐えられたとしても、ストレスが体に悪影響を及ぼします。

そこで、精神的に無理せずに、低いカロリーでお腹がふくれ、必要なビタミン等が摂取できる食品は格好のダイエット食品となります。

量が少なくてもお腹がふくれる食事は昔から切望されていましたが、カロリーがあることが今と違いました。

芋など、お腹がふくれるだけでなく、運動エネルギーとなる炭水化物が主食であったのはわずか数十年前。

当時のひとたちは、エネルギーのないお腹がふくれるだけの食事が流行すると予想できたでしょうか?

豊かな社会では、エネルギーは放っておいてもたくさん摂取してしまいます。

エネルギーを補充するための食事ではなく、エネルギーが補充されないことを体に知らせずにごまかすための食事をする時代になってきたという感じです。

野菜ジュース・青汁・こんにゃくゼリー・ビタミンウォーター・・・こうしたノンエネルギービタミン含有食品が今後ますます人気を集めてくると思います。

私も健康なダイエットや野菜食品は大歓迎ですので、今後のさらなる人気の高まりに期待したいです。

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2009年9月 1日 (火曜日)

大物を育てる環境

九重親方の講演を聞いてきました。

苦難を乗り越え、大記録を作り上げた努力の人だけあり、非常にためになる良い講演でした。

ここでふと思ったのは、千代の富士以降、「強い」と思わせる日本人力士は貴ノ花くらいしかあらわれていないこと。

それが相撲人気の衰退につながっています。

日本のスポーツ界自体は、陸上・サッカー・野球・バレーボールと、着実に進歩していると思います。

その反面で相撲界は日本人力士のレベル低下。

プロ野球界でも、投手や野手のレベルがあがる反面で、日本人パワーヒッターは、ゴジラ松井以降、ほとんど生まれていません。

世界と戦うことがテーマだったここ数年のスポーツ界。

野球に象徴されるように、パワーや体格の差を、スピードと正確な技術でカバーして戦おうとする考え方が広まってきました。

打率2割、ホームラン率1割の長距離法よりも、打率3割で盗塁も守備もこなせる選手の方がどんどん評価をあげてきました。

その結果が、相撲のような力勝負のスポーツの人気衰退や、パワーヒッターの減少につながっているのではないかと思います。

世界と戦う方法論としてはおそらく最善策でしょう。

しかし、これでは、日本国内でスポーツが小さくまとまったものになり、スポンサーのつかない競技は衰退し、スター選手出現の機会をどんどん奪っている気がしてなりません。

こういう風潮があるからこそ、相撲のような単純な力勝負のスポーツに人気が回復してほしいと思います。

JC活動で展開しているわんぱく相撲大会は毎年一定の効果をあげています。

できれば、この事業も一助として、相撲や、純粋な力勝負のスポーツがもっともっと流行ってほしいと思います。

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