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2009年7月 8日 (水曜日)

スポーツ事故の責任の所在

今日は、スポーツ事故についての勉強会に出席してきました。

様々な裁判例を検討し、なるほどと思いましたが、同時に、教師や学校にとっては厳しい判決ばかりだなと思います。

スポーツで命を落とすのは、多くは、体がしっかりできていない小中高生の低学年です。

遺族からしたら子供を預けていてこのような事故に巻き込まれ、憤慨するのは当然です。

しかし、預かる側の学校や教師からすれば、全ての生徒をずっと見続けることは不可能で、さらに、クラブ活動で団体で行動しているなら、団体の統一性を維持し、特定人物だけ特別扱いしないことが原則として求められます。

チームが結果を出す最善のコーチングも求められます。

生徒に異常があれば、直ちに練習をやめさせ、治療を受けさせるべき

というのはこれだけ見れば正論ですが、

勝利ただそれだけのために青春をかける生徒や、それを預かる学校側からすれば、求められる行動と逆方向の行動を求められるわけで、この視点を知ってしまうと、手放しに正論万歳と素直に賛同できなくなります。

また、世界に通用するプレーヤーを輩出しようとするなら、このような正論に拘泥していては、到底目的の達成は困難でしょう。

裁判例の傾向は大体理解できましたが、それぞれの思惑が真っ向から対立する非常に難しい問題です。

どちらの立場にたっても、主張すべきことをしっかり主張し、よりより判例法理の確立に努めなければならないと思います。

本日の裁判例検討でも、あくまで判決日基準で、当時の妥当な考え方に基づいてなされた判決で、今後も、標準的思考の変化に伴い、結論も変化する可能性があることが示唆されました。

何が妥当であるかは、裁判所ではなく、一般市民が決めることです。

そのために、法曹はもっと教育現場を知るべきですし、教育関係者ももっと法曹に意見を求める姿勢が大事であると強く思います。

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