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2009年4月24日 (金曜日)

批判と対案

仕事を共同で進めるうえで、積極的にぐいぐい進めてくれる人は非常に頼もしいです。

裁判官が勉強熱心で、自分が考えていなかった視点を提供してくれると、それだけで、その裁判官を全面的に信頼してしまいますし、何をするにも後手後手の裁判官には、正直、別の裁判官に変わってくれと思うこともあります。

裁判官にせよ、共同受任の弁護士にせよ、他人のすることの批判は簡単です。

人それぞれ、意見は異なるので、自分なりの異なる点を明らかにすれば、いいだけだからです。

そういうわけで、簡単に人を批判する人がいますが、ちょっと待った。

批判のうえで、よりよい対案を示せますか?

自分の対案が相手の案よりすぐれている根拠は十分ですか?

私は、批判は、前向きな動機を生みにくい行為だと思いますので、少なくとも公の場で、人の考えを批判することは、ほとんどしません。

しかし、逆に、自分の意見ややり方には、それなりにすぐれたものと勝手に自負したり、いろいろやりたがる人間なので、十分に吟味しつくしていない意見を対外的に発表し、結構批判にさらされます。

批判された瞬間は悲しいですが、よくよく議論を詰めると、明白なミスを除けば、完全に論破されることはなく、最終的には自分の意見が通っていることが多いです。

他人の意見を否定するのは簡単ですが、自分の意見を肯定するのは困難です。

これを磨く機会は、たくさんの批判を浴びて、意見を推敲し、他人を論破する素材を収集することです。

他人の批判は、愚痴をこぼす程度にし、自分を批判の矢面に立たせて磨く。

このライフスタイルが素晴らしいと思いますし、私にはあっていると思います。

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