« 逮捕すること風のごとく | トップページ | イラク自衛隊派遣違憲判決 »

2008年4月16日 (水曜日)

判例はいかに作られるか

事件処理にあたって、事件内容にドンピシャの判例があればもちろんのこと、近似した事案の判例があれば、事件の方針や見込みが早い段階で固まり、スムーズに事件処理が進みます。

当たり前のように存在する多数の判例ですが、実務に就いてみると、それがいかに苦労して形成されているかよくわかります。

法曹のほとんどは、法律解釈について、既存の文献などを参照に自分の考えを述べることはできなければなりませんが、「これが妥当な法解釈だ」と世間に認めさせる力量のある法曹はごく一部のベテランの方々だけです。

それゆえ、先例がなく、適正な法解釈の要求される事件において、裁判官は自分の判断を示して責任を負うことを嫌いますし、弁護士も、敗訴して下手な先例を作ってしまうと今後の業務に支障が出ることを恐れます。

それにより、判例を残したほうが、同種他事件の処理のために断然良い効果をもたらすにもかかわらず、和解で解決するよう当事者を説得する法曹が現れるのです。

要は、社会全体の利益よりも、自分の責任回避が大事なわけであり、それは人として当然抱く感情だと思います。

この現実を知ると、コストパフォーマンスや今後の責任を度外視して、苦しみながらも社会に役立つ先例を築きあげた先輩方には頭があがりません。

しかし、事件処理は当事者の幸せあってのものでなければならず、当事者が争う意思がないにもかかわらず、代理人の独断で判決や最高裁に持ち込むようなことは断じてあってはなりません。

多くの判例の案件の全てが、依頼者が徹底的に最高裁まで争ってやる、というものであったとは思えず、相当数の判例は、当事者の犠牲のうえに成立したものであると思います。

そう考えると、ますます判例というものは、様々な人の多大な犠牲のもとに作られたものであり、ありがたく参照させてもらわなければならないとの感が強くなります。

破産事件の運用もそうですが、法律が不足する分野で、いかに妥当な規範を立てて、スムーズかつ適正な事件処理を担保するかは、この仕事に就く限り最も名誉ある仕事であると思います。

そんな仕事をいくつもこなせるよう、今は基礎をしっかり身につけることを常に意識していたいと思います。

|

« 逮捕すること風のごとく | トップページ | イラク自衛隊派遣違憲判決 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 判例はいかに作られるか:

« 逮捕すること風のごとく | トップページ | イラク自衛隊派遣違憲判決 »