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2007年11月13日 (火曜日)

計算上の最善の一手と主観的な最善の一手

青森の豪雨のニュースを見ていると、街中にいても、急に自然災害に巻き込まれる恐ろしさを感じます。
台風ならいつ来るかわかり、対策がとれますが、大雨は直前にならないと予測できない面があり、被害が拡大するおそれがあります。
アメリカ西海岸では、今年異常な気温の上昇と乾燥、それに伴う大規模な山火事が問題となりました。
どちらも、地球温暖化が引き金になっているとの指摘があります。
自分とこがちょっと多くCO2を出しても全く影響はないはず
いまさらCO2削減を講じても遅いよ
という意見もありますが、いまや地球温暖化があちこちで重大な問題を発生させ続けていることは明らかで、CO2削減を講じないために生じた損害はとてつもないものとなっています。
理屈では悪いと思っていても目に見えるかたちで弊害が現れないかぎり対策を講じない
目に見えるかたちで弊害が生じても、因果関係が確実に証明されない限り対策を講じない
人間の考えなので、仕方のないことですが、今、楽することによって将来より多くの損害を被ることをもっと冷静に計算できる人材が発言力を持つ世の中になれば、多少は、将来を見越した安定した方針ができていくのだと思います。
客観的に見れば、何が最大利益か計算できるものの、いざ自分が選択権を有すると、目先の利益をとってしまう、というのはまさに裁判所と当事者の、事件に対する捉え方・見方の違いにも現れています。
人間、感情やその時点における利益を重視しやすいですが、それを正し、巨視的にみて最も良い道を勧めるのも、その人と人生が交わった縁の中で勧めるべきことです。
いろんな対価を伴う行為ですが、私は、そうあり、話し合いの中で最善の一手を追求できるようになりたいと思います。

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