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2007年8月 8日 (水曜日)

人が集まりゃ赤信号

私のマンションは環状線の線路に面しています。
福知山の脱線事故があった際は、「お前の家にもJRがつっこむぞ!」と言われたものですが、カーブの内側なのでその可能性はまずないだろうと考えています。
大阪駅が近いせいか、朝は通勤電車がマンションの面前で信号待ちをしていることが多く、信号待ちしてるなら乗せてよ、と心の中で思うことがあります。
京橋発のUSJ行き、関空行き、通常の環状線、快速列車と、タイプの異なる列車が通勤ラッシュの時間帯は入り乱れるため、少しダイヤが乱れると、信号待ちの嵐に遭遇してしまうのでしょう。
こういう光景を見ながら、自転車通勤の気楽さ・便利さを実感して通勤しています。
信号待ちは多くの人の時間の空費をもたらし、全体として大きな損失となるので、できる限りなくすようにスケジュールを組むのが好ましいです。
しかし、通勤中「信号待ちなげ~な、もっと歩行者(自転車ですが)の気持ちを尊重しろよ」と思っても、実際に車で同じ道を行くと、「信号変わりすぎ、自動車をスムーズに流さないと経済的に大きな損失やぞ」と思い、ジレンマに陥ります。
人が集まりすぎると、どうしても個別の利害の調整が難しく、多くの人に相応の犠牲が求められます。
完璧な交通整理が行えれば良いのですが、不正確な人間社会である以上、それは困難であり、かえって、アクシデントが発生した際の脆さを露呈する可能性すらあります。
日本人はとかくブランド好きで、「1番」がつくものに人気が集中しがちですが、人が集中すればするほど、強いられる犠牲も大きくなり、生存競争が激化していくのだと思います。
人口が三大都市圏に集中していることも、裏では格差拡大の指標となっているともいえます。
信号待ちが「犠牲」かよ?と思うかもしれませんが、一番身近でわかりやすいモデルケースだと、朝の列車を見て思いました。
身の程を考えず、都会の空気を吸えば高く飛べる、と思わず、自分の身の程に合い、うまく生活のリズムをつかめるところに住むことこそ一番大事なのだと思います。
3大都市圏への人口集中が、反対に地方分散傾向になったら、今日始まった高校野球もさぞかし盛り上がるだろうと、考えたりもします。
医師や弁護士の偏在問題も同じ理屈でしょう。
無理して背伸びしないで、皆ができる限り身の丈にあった自然な生活ができる社会であればと願ってやみません。

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