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2007年7月29日 (日曜日)

事件を起こす人の認識

自分の行為で他人に何らかの損害を与えた場合、これを賠償しなければならないのは当然のことです。
刑事弁護人の仕事は、起訴の前後を問わず、また、勾留の有無を問わず、被害弁償を実現させることが大きなものだと考えます。
処分の結論をどうするためではなく、まず、人間として当然の被害弁償を行い、その結果として、起訴猶予・執行猶予などの処分ですむ、という考えを持たねばならないと思います。
ところが、被告人は金の有無を問わず、被害弁償を嫌います。
「やっぱ、被害弁償しないと執行猶予は無理でしょうかねぇ」とか、
「慰謝料まで払わされるのは勘弁してくださいよ」
という声をしばしば聞きます。
国選弁護事件などでは、接見にいって開口一番「わし、金ないから被害弁償でけへんで」という被告人すらいます。
そういう被告人に無理に被害弁償をさせるのは違法ですが、金がないから払えない、必要以上の金は払いたくない、という考えですまされる社会ではないことをしっかり理解してもらうことが大事な仕事なのだと思い、最近、土曜・日曜を中心に、国選・私選を問わず、接見に足繁く通い、被告人と話す機会を増やしています。
逆に被害弁償するお金をポンと出されても困る場面もあります。
特に知人からいきなり大金が出る場合などは、何らかの犯罪収益である可能性を検討しなければなりません。
弁護士が犯罪収益の洗浄に関与してはならず、近時弁護士会の内規が厳しくなっていますが、被害弁償はすれば良いというものでなく、新たな犯罪の結果によらないものである必要があることは当然のことです。
刑事事件も破産事件も離婚事件も普通の人なら社会生活上こうすべき、ということができなかったため、弁護士の助けを求めている事件が多いのだと感じます。
そうした人たちに対して、甘やかして結論だけ得ることは簡単ですが、何故事件に至ったか、もうこのような事件を起こさないためにどうすべきか、わかっていないまま事件を終わらせてはいけません。
若造のいうことをどこまで聞いてくれるかわかりませんが、弁護士はそういった人たちの「人生の教師」でもなければならないというのは、この仕事の大変さを十二分に物語っています。

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