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2007年2月19日 (月曜日)

いい弁護士とは

弁護士費用は着手金と報酬金からなります。

事件処理に必要な最低限度の費用を着手金としていただき、後の弁護士費用は出来高に応じた額とする方式です。

これにより、弁護士は依頼者の最大の利益のために尽力するというのが理想的な委任関係です。

以前にも書きましたが、私は楽しみをあとにとっておきたい派なので、できる限り、着手金は低額におさえ、債務整理案件や、確実に一定の金銭が回収できる事件などでは、着手金なしで受任することもままあります。

このように、報酬金制度は弁護士の仕事に対する熱意をあげるものだと思われていますが、必ずしも実務ではそうでもないようです。

もちろん、真に依頼者の最大の利益を求めて最大限の努力を惜しまない弁護士は多々いますし、私もまだ事件によって依頼者に教育を受けさせてもらっているという意識でいますので、常にそうありたいと心の中では願っています。

しかし、弁護士の中には、費用対効果を計算のうえ、依頼者の利益をおさえつけ、時に相手方と密に話し合い、無理矢理和解や調停に持っていって仕事を減らそうと考えている人がいるようです。

抱えている事件数が多いので、手間のかかる尋問や強制執行手続までやってられない、あるいは、そもそも強制執行手続のやり方を知らない弁護士すらいる有様で、自分が受任した事件の責任を本当に果たしたのか、疑問を持つケースが多いです。

ところが、この業界、依頼者の利益を最大限に主張し、安易な和解や調停を勧めない弁護士は弁護士内のみならず、調停委員や裁判官からすら煙たがられているというのはゆゆしき事態だと思います。

他方で、自分の受任した事件が、途中で面倒くさいと投げだし、相手方代理人や相手方本人と仲良くして、依頼者の心にしこりの残る和解を勧め、仲良くした相手方らから新しい事件を受ける弁護士が栄えるのは個人的に非常に納得のいかないものです。

民事事件では、判決よりも和解の方が当事者双方が納得する解決が得られやすいですが、弁護士や裁判所(最近、和解事案ではないのに和解を勧める裁判官をごくまれにみかけます)の都合で和解に持ち込むのは許されません。

弁護士が和解を勧める理由の一つに、当初の事件処理の見込みと大きく違ってきた、あるいは、依頼者の言い分は自分の印鑑を押して主張書面にしたくない、などといったことがあるようですが、いずれも受任時に弁護士が判断し、将来のあらゆる事情を受け入れて受任に至ったのですから、多少の事情があっても、最後までやり通す意思がないと(現実にやり通すか、別の解決法をみつけるかは別論として)無責任だと思います。

不良弁護士のパターンは、受けられそうな事件は何でもかんでも受けて、着手金を確保し、自分の手に余る仕事は放置し、できる範囲で上っ面の解決をして(後は放り投げ)事件処理を進めるというもののようです。

こんな弁護士にならないためにも、受任時にしっかりと自分の信念や能力に適合するか判断し、受任した事件は依頼者の最大の利益のために最後までやり通す意思を持ち続けないといけないと思います。

私も、法律相談で、自分の手に負えるかわからない、自分の考えと違うのではないか、と考えて受任をしなかった事件を思い出して、「受任しておけば良かった」と悔やんだことがありましたが、今思えば、自分の手に負える事件だけ選別して受任したことは我ながらナイス判断だったと感じます。

人間誰しもできる限り楽したいですし、相手本人や代理人、裁判官や調停委員とも喧嘩したいわけではなく、できれば仲良くしたいものです。

不良弁護士にならないためには、時に不毛でコストパフォーマンスの劣悪な作業を繰り返す必要があったり、相手代理人らにうざがられたりしますが、それを乗り越え、自分の信念を貫き、依頼者の利益をしっかりと確保できる人こそいい弁護士といえるのでしょう。

そのためには能力・仕事への意欲・体力・判断力・表現力・人間性・・あらゆる素養が高くなければいけません。

私もそのように立派な弁護士になりたいと最近特に強く思うようになりました。

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