« DQ9はDSで発売 | トップページ | 人気チームの苦悩 »

2006年12月13日 (水曜日)

刑事事件の見方

ウィニー事件、大阪姉妹殺害事件と、世間の注目を浴びる大型事件が今日、京都と大阪の地裁でそれぞれありました。

結論は、まあ予想された通りの内容で、とりあえず一段落というところでしょうか。

刑事事件は法曹三者が一同に顔を合わせ、同じ事件について異なる意見を出し合いますが、その背景には、事件の見方が大きく違うようです。

弁護士の立場からは、自分の予測にとらわれず、法律の範囲内で被告人に最大の主張をすることが求められます。

無罪を主張する被告人について、自分の思いこみで有罪と主張することはできない反面、有罪を認めている被告人について、証拠不足や捜査上の問題点をつついて無罪主張することは許される場合があります。

自分の浅い経験の範囲内で勝手に判決を予測して、被告人に十分な防御の機会を与えないことが最もあってはならないことで、心の中では「この事件で無罪はおそらく無理だろう」「執行猶予はまずつかないだろう」と思いつつも、無罪や執行猶予のためにできるだけの合法的弁護活動を行うことが求められます。

これに対する検察官は、できる限り厳しい刑を主張したり、無罪っぽい事件を有罪に無理にもっていく・・というイメージはありますが、現実にはそのようなことはなく、被害感情が著しく大きいなどの特別な事情のない限り、判決内容を想定して、判決内容と大きく誤差のない起訴・求刑をします。

日本の刑事裁判の有罪率が高いのは、検察官が冷静の事件分析・証拠収集を行っている証拠だといえると思います。

ただ、被害者の意見の代弁者としての唯一の機関でもあるので、最近特にその機能がマスコミでも注目され、クールな検察官の温情味を感じさせる重要な要素となっています。

裁判所は、まず妥当な結論を導くこと、そのために必要な事情を絞り込んで審理することに集中します。

そのため、事件当事者が重要だと感じ、弁護士や検察官を通じて裁判所に出した事情から重要事情につき、取捨選択し、それのみを判断して、適切な結論とその理由を回答します。

そのため、裁判に必要な事情のみを徹底的に洗い出す姿勢は、検察官よりもはるかにクールであり、時にこの姿勢が当事者の感情と相反する場面があります。

弁護士は当事者の代弁者である以上、感情論を展開する必要もしばしば生じますが(少なくとも当事者が裁判官に主張したいと考えている感情論を抑圧するのは適切ではありません)、裁判所は提出された感情論に惑わされず、時にはこれを冷徹に無視して結論を出し、裁判とは関係のない説示などで、当事者の感情論に応えることとなります。

どれが良くて、どれが悪いという問題ではなく、職務上あるべき姿ですし、裁判官によってクールに感情論を排していく弁護士も、当事者によって裁判上採用されがたい感情論を大展開していく弁護士もいずれも問題はなく、依頼者が自分にあった弁護士を選択していくこととなると思います。

事件の見方や仕事の仕方の点で一定の枠には入っているものの、そのなかで弾力的かつ魅力的に仕事をこなすことが大事だと思います。

|

« DQ9はDSで発売 | トップページ | 人気チームの苦悩 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 刑事事件の見方:

« DQ9はDSで発売 | トップページ | 人気チームの苦悩 »