« 高校野球人気復活? | トップページ | 中国ではネットも検閲 »

2006年8月17日 (木曜日)

1球の重み

今日の高校野球第2試合、智弁和歌山対帝京戦について思うことは、この試合を見た人ならたくさんあることでしょう。

私もその一人ですが、大会を通じて1球の重みを感じる中、特にこの試合でそれを再認識させられました。

投じられた球がストライクかボールかの判定は、規則によれば、横はベース上、縦はバッターのひざや肩の高さでストライクゾーンが設定され、画一的に判断されることになっています。

しかしながら、バッターが見逃した球の判定によって三振や四球を判断する際は、主審は必ずしもこの規則に則らず、「空気を読んだ?」判定をしているように思います。

特に感じるのは少し外れているのではないかとバッターが感じてバットを止めたボールをストライク判定して、四球判定を減らしているようにも感じます。

精神的・技術的に十分でない高校球児について、型にはまった判定をすれば四球が増え、球児の負担が増え、同時に、バッターの積極的な打撃をも損なってしまうという懸念に対する配慮として、四球を少なくする判定をしているのだと私は理解しています。

しかし、あるバッターを三振にするか四球にするかは、終盤の大事なところでは、勝敗に直結する致命的な判定になりかねず、ある意味恣意的な上記のような判定をしていては、そのうち球児の運命を弄ぶ大惨事になりかねないのではとも懸念しています。

そんな考えをもっていた私ですが、今日の最終回は、よくあれほどまでに四球をとったな、という印象が強いです。

確かに急造ピッチャーで、明らかなボール球が多く、ストライクの温情判定も難しい球ばかりでしたが、最終回の6四死球で自滅という結果を生むのであれば、審判はもう少しストライクを甘めにとって、最後は打たれて負けるという温情を出しても良かったのではないかと勝手に考えています。

「魔性の曲」ジョックロックが鳴り響く異常な空間の中で、急造投手がまともな心臓で投球することは困難である。

これが地裁以下の単独裁判だと、このような異常な状況下であったとの事情を斟酌して、空気を読んだ温情判決を出す場面かな?とも考えたりします。

智弁和歌山の11番は突然リリーフを指示され、1球でバッターを打ち取り勝ち投手。

帝京のショートは突然リリーフを指示され(控え投手の肩の準備のための時間稼ぎだったとの噂もあります)、1球の死球でサヨナラのランナーを出して負け投手。

1球で明暗くっきり別れた両リリーフ投手の明暗も非常に皮肉に感じます。

|

« 高校野球人気復活? | トップページ | 中国ではネットも検閲 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 1球の重み:

« 高校野球人気復活? | トップページ | 中国ではネットも検閲 »