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2006年3月12日 (日曜日)

希望の偉大さ、宣告のタイミング

数々の熱戦を繰り広げたトリノでパラリンピックが始まりました。

不発に終わった本大会に比べ、こちらは日本勢が調子良いようです。

大きな障害を負った人は、生きる望みを失って、自暴自棄になったり、自殺したりするケースが少なくないと聞きますが、そういったひとたちに生き甲斐と生きる喜びを与えるパラリンピックの趣旨は素晴らしいものですし、スポーツ以外でも、こういったものが増えていけば福祉国家としてどんどん充実していくでしょう。

オリンピックは参加することに意義があるとも言われますが、幸せとは何かを成し遂げた時だけではなく、何かを目指して頑張っている状態が充実しているときも感じるものだと思います。

オリンピックを目指して頑張っている人たちは、たとえ、思うような結果が残せないことがわかっていたとしても、自分の出来る限りの結果をだそうと精一杯頑張っているときに十分に幸せなのでしょう。

今日は昼は女子マラソンを見ていましたが、渋井陽子選手は序盤のハイペースで終盤相当しんどかったと思いますが、一番でゴールする自分を想像して、力をふりしぼって走ったのでしょう。その瞬間は辛いけれども充実していたことと思います。

それでも優勝できなかった、レース後の渋井選手の表情はそれまでの辛さがどっと出たような感じがしました。

夢とは、簡単にはかなわないのが現実ですが、夢に向かって頑張っている瞬間も大事な時間ですから、それを失わせるような言動は良くありません。

今日の行列のできる法律相談所の2番目の事案、教師が子供に現実を教え、夢をこわしてしまった場合に慰謝料をとれるかという話がありましたが、確かにこの事案で損害賠償請求は不可能でしょうが、子供の夢を壊した道義的な責任は非常に大きく、少なくとも教師がすべき発言ではないでしょう。

そういうわけで、夢に向けて頑張る時間を損なわせるような言動は慎むべきですが、逆に、可能性のほとんどないことにいつまでも固執しては、別の可能性まで損なうことになりますので、一定の段階に達したら、周りの人がこれを指摘してあげることも大事なのでしょう。

医師が患者にどこまで病状を伝えるべきか、弁護士が依頼者に勝訴見込みを伝えるべきかは、非常に難しい問題をはらみますが、根本的なことは、その人の希望を損なわないようできる限り配慮し、どうしてもここで現実を知るべきだというタイミングをしっかりと見極めて真実を伝えるべきなのでしょう。

自分は大した男ではありませんが、自分の力で直接周りの人を幸せに出来なくとも、せめて、家族や知人に希望を与えられるような人間になれるよう心がけていきたいと思います。

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