2009年7月 9日 (木曜日)

きめ細やかな交渉

弁護士の大きな仕事の1つは交渉し、契約を締結することです。

しかし、契約を締結することが果たしてどれほどの意味を有するのかも考えながら仕事をこなしていかねばなりません。

裁判上で和解をしたまではよいものの、和解条項がぜんぜん守られない際に、和解を勧めた裁判官に不満を覚えるのと同様、自分が主導して成立させた契約が守られないと、不満の矛先は弁護士に向いてきます。

自ら約束したことを守れないのは、人間として恥ずべき行為の1つですが、守れないのは、無理を課している場合が多いのではないかと思います。

契約の定型化が進み、一定の事実関係の中では、あるべき契約・理想の契約がどんどん固定化され、固定化された内容で、契約締結に至ることが最善の仕事であると思いがちです。

金融機関による債権回収の場合、先に「分割は3年まで」という社内ルールありきで、このルールに則った和解案を相手に強制し、和解成立にいたれば成功、そうでなければ和解する意味なし、という態度をとりますが、相手の支払能力を度外視して、ただ漫然と3年以内の和解を成立させればよいというわけではありません。

結局支払ができず任意整理をやりなおすことになれば、時間も余計にかかり、約定利息の回収の点でも損をします。

同じように、要望の範囲で理屈上「ベストな契約書」を作成できたとしても、これを相手が履行できなければ実質上「ベスト」とは到底言いがたい代物で、相手のキャパを考え、破綻することなく、最大の利益をあげる契約内容を個別具体的に検討する必要があります。

任意整理にしても、契約締結交渉にしても、単純な仕事をマニュアル通りにこなすのは、弁護士資格があれば誰でもできることですが、この単調な仕事をいかに個別具体的に深く検討し、究極の仕事に昇華できるかどうかで、弁護士の能力の差異が現れていくと思いますし、これから生き残っていくのはこうした個別の事情を丁寧に汲み取れる弁護士であると思います。

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2009年7月 8日 (水曜日)

スポーツ事故の責任の所在

今日は、スポーツ事故についての勉強会に出席してきました。

様々な裁判例を検討し、なるほどと思いましたが、同時に、教師や学校にとっては厳しい判決ばかりだなと思います。

スポーツで命を落とすのは、多くは、体がしっかりできていない小中高生の低学年です。

遺族からしたら子供を預けていてこのような事故に巻き込まれ、憤慨するのは当然です。

しかし、預かる側の学校や教師からすれば、全ての生徒をずっと見続けることは不可能で、さらに、クラブ活動で団体で行動しているなら、団体の統一性を維持し、特定人物だけ特別扱いしないことが原則として求められます。

チームが結果を出す最善のコーチングも求められます。

生徒に異常があれば、直ちに練習をやめさせ、治療を受けさせるべき

というのはこれだけ見れば正論ですが、

勝利ただそれだけのために青春をかける生徒や、それを預かる学校側からすれば、求められる行動と逆方向の行動を求められるわけで、この視点を知ってしまうと、手放しに正論万歳と素直に賛同できなくなります。

また、世界に通用するプレーヤーを輩出しようとするなら、このような正論に拘泥していては、到底目的の達成は困難でしょう。

裁判例の傾向は大体理解できましたが、それぞれの思惑が真っ向から対立する非常に難しい問題です。

どちらの立場にたっても、主張すべきことをしっかり主張し、よりより判例法理の確立に努めなければならないと思います。

本日の裁判例検討でも、あくまで判決日基準で、当時の妥当な考え方に基づいてなされた判決で、今後も、標準的思考の変化に伴い、結論も変化する可能性があることが示唆されました。

何が妥当であるかは、裁判所ではなく、一般市民が決めることです。

そのために、法曹はもっと教育現場を知るべきですし、教育関係者ももっと法曹に意見を求める姿勢が大事であると強く思います。

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2009年7月 7日 (火曜日)

天満宮に祈る

今日は七夕です。

小学校以来、七夕を行事と思ったことはありませんでしたが、今年は大阪JCの事業で、7777枚の短冊を集め、大阪天満宮に納めるという事業があったため、個人的にも、また、知人にも短冊の記入を推進しました。

短冊を書いていてよく言われたことは、「天満宮に祭るなら、学問に関したお願いでないと意味ないね~」ということです。

しかし、当の天満宮には、学問に限らず、恋愛成就や健康など、様々なお祈りのパートがりました。

お祈りというのは、時に宗教戦争を引き起こす厄介なものですが、基本的には、神や仏にすがることにより、自己実現ができるかもしれないという淡い期待を抱けいた際のささやかな幸福感にひたれるところに意味があるのでしょう。

そういう意味で、我々JCも、大きなことはできなくても、こういうささやかな幸福感をお届けできる事業を続けていけば、「明るい豊かな社会」の実現に1歩ずつでも近づいていける気がしました。

午前中に降った雨も午後にはからっとあがり、蒸し暑い一日になった今日、織姫と彦星、そして大阪市民がささやかな幸せに包まれ、ゆっくり眠れることをお祈りし、私もそろそろゆっくり寝ようと思います。

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2009年7月 6日 (月曜日)

長続きする商品

一昨日、10年ほど前に愛飲したマイナーな缶飲料を販売している自販機を発見しました。

昨日、別の場所で同様の自販機を発見しました。

今日、出張先の裁判所近くで同様の自販機を発見しました。

コカコーラやアクエリアスなど、CMでおなじみの商品が町にあふれるのは当然のことです。

しかし、CMをしないで、10年以上残る缶飲料も非常に貴重な存在です。

何かをやるからには、その道で一番になるか、最後まで生き残るかが大事であることを如実に物語っています。

どの道で生活していくにも、このどちらかを意識し、日々精進していくひとこそが本当のプロになり、生き残っていくのだと思います。

そうなるべく、決して知名度は高くなくとも、10年20年生き残れる存在になれるよう、雑草魂を持ちながら頑張りたいと思います。

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2009年7月 5日 (日曜日)

わんぱく相撲大阪市大会

今日は、わんぱく相撲大阪市大会が開催されました。

昨年は府立体育館で開催されましたが、今年は広い大阪ドームでの開催で、主催者側も参加者も歩く距離の多い大変な大会でした

しかし、スペースを広くとることができることにより、空いたスペースで遊べたり、アトラクションを用意できたり、いろいろな企画が可能になりました。

大半の参加者は数時間もの時間を割いて、わずか1~2試合で敗退する人たちです。

そうした多数派の人たちにも、相撲以外で楽しんでもらえる準備ができたのは大きく、費用はかかっても、ドームで開催した意味を感じることができます。

様々なことを短い時間にたろうとするあまり、段取りが悪かったり、待ち時間が長かったりした面もありましたが、全体的には「充実した日曜日」を過ごしてもらえたのではないかと思います。

この事業に参加すると、純粋、かつ、後腐れ泣くさわやかに闘える子供達がうらやましく感じます。

大枠は同じようで、細かい微調整が大事な「わんぱく相撲」が大阪市はもちろん、全国で大きな意味を持ってくれることを期待せずにはいられません。

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2009年7月 4日 (土曜日)

大阪ドーム 広すぎ

明日はいよいよJC主催のわんぱく相撲大阪市大会です。

今日は午後から大阪ドームに前日準備に行ってきました。

7月に入り、本当に暑い1日で、いつもより疲れがたまるのが早い1日でした。

そのせいもあるのかわかりませんが、大阪ドームは本当に広い!

普段、スポーツの試合を見に行く際には外野から内野にまわるくらい、なんでもありませんが、今日はあちこちに行かねばならなかったせいか、大阪ドーム内に移動の多さにぐったりしました。

プロ野球の試合などを我々が不自由なく観戦できるのは、スタッフの方々がこの広い大阪ドームを走り回ってくれるからだということを実感できます。

明日は、我々JCが小学生の相撲大会を支えるスタッフとなります。

まずは、我々が惜しみなく走り回り、参加者に不自由をかけないこと

次に、案内をしっかり行い、参加者が無駄な労力を尽くすことなく、スムーズに移動できるように心がけて対応したいと思います。

昨年は全体の流れを理解できないまま、指示されるがままに1つの土俵を仕切りましたが、今年は担当委員会ではないものの、ある程度全体の流れは教えてもらいました。

明日は午前4時起きで、現場に向かうので、明日の成功を祈り、今日はゆっくり寝たいと思います。

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2009年7月 3日 (金曜日)

「ちょっとここだけの仲やんか」の罠

「お願いしますから、これ出してくださいよ~」

日常生活で結構よく聞く言葉です。

私は職業柄、書類の開示をよく求められますし、書類に限らず、私的公的情報の開示も求められます。

法律で開示せよ、という義務が明定されていない限り、応じる必要はないのですが、人間関係は法律ではわりきれず、応じざるをえない状況に追い込まれることもあります。

しかし、目先の人間関係にとらわれ、余計な情報を開示してしまうと、後で強烈なしっぺ返しをくらいます。

他人からの預かり金銭を勝手に使用すると横領であるのに、他人からの預かり情報を勝手に使用・流用しても責任を問われない、ということは甘い話です。

金銭でなく情報であっても、他人の情報は最後まで責任をもって管理し尽くすことが何より大事です。

様々なかたちで「書面を書け」「情報を教えろ」と言われる社会にはうんざりですが、目先の人間にだけ甘くならず、常に「この書面を書いてよいか」「この情報を開示してよいか」を考えて行動しなければなりません。

そうすると、つまらない人間だと思われても、法律に従い、開示義務のない他人の情報は原則開示しない対応がやはりベストなのでしょう。

頼まれると断りにくいのは、私だけでなく日本人の多くの抱える短所であり、長所だと思いますが、ここで心を鬼にできるかが、自分の身を守る大事な考え方であると、最近強く思います。

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「ちょっとここだけの仲やんか」の罠

「お願いしますから、これ出してくださいよ~」

日常生活で結構よく聞く言葉です。

私は職業柄、書類の開示をよく求められますし、書類に限らず、私的公的情報の開示も求められます。

法律で開示せよ、という義務が明定されていない限り、応じる必要はないのですが、人間関係は法律ではわりきれず、応じざるをえない状況に追い込まれることもあります。

しかし、目先の人間関係にとらわれ、余計な情報を開示してしまうと、後で強烈なしっぺ返しをくらいます。

他人からの預かり金銭を勝手に使用すると横領であるのに、他人からの預かり情報を勝手に使用・流用しても責任を問われない、ということは甘い話です。

金銭でなく情報であっても、他人の情報は最後まで責任をもって管理し尽くすことが何より大事です。

様々なかたちで「書面を書け」「情報を教えろ」と言われる社会にはうんざりですが、目先の人間にだけ甘くならず、常に「この書面を書いてよいか」「この情報を開示してよいか」を考えて行動しなければなりません。

そうすると、つまらない人間だと思われても、法律に従い、開示義務のない他人の情報は原則開示しない対応がやはりベストなのでしょう。

頼まれると断りにくいのは、私だけでなく日本人の多くの抱える短所であり、長所だと思いますが、ここで心を鬼にできるかが、自分の身を守る大事な考え方であると、最近強く思います。

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2009年7月 2日 (木曜日)

調停はゲーム理論?

調停がなかなか成立しにくいことは何度か話題にしました。

原因は依頼者がなかなか決断できない、裁判所が判断を示さないなどいろいろありますが、大きな問題は「顔が見えない」ことにあるのではないかと思います。

和解であれば弁護士同志は顔が見えるので、腹をわった話し合いは可能ですが、調停は弁護士同志、当事者同士が顔を合わせない、すると、相手がどのように事件を考えているのか全くわからない状態に置かれます。

適切な内容で調停を成立させられれば、当事者双方がウィンウィンな関係に立ちますが、調停成立をあせって安易に譲歩すると、弱みにつけこまれ、大切な依頼者を危険にさらしかねません。

「強気のカード」と「弱気のカード」の2枚があるとしたら、

双方が「弱気のカード」を出したら、双方合計で最大利益

一方が「強気のカード」、他方が「弱気のカード」を出した場合、強気側はぼろもうけ、弱気側は大損

双方が「強気のカード」を出したら、裁判でえんえんと戦うことになり、利益は減少

ということに、簡単に考えてなります。

顔が見えないから、弱気のカードで交渉の余地があるのかないのかわからないため、強気のカードを出し続けるという弱気の交渉しかできなくなるのが、調停ではまる落とし穴だと思います。

相手代理人が知っている人物であれば、直接電話で話し合えますが、知らない場合、まず、その弁護士の評判を聞いてみる。

ある程度、裁判の材料と相手代理人の情報が集まった段階で、まず相手代理人に調停成立の見込みを聞いてみる。

相手代理人が頓珍漢な考えを持っていたり、相手本人が譲歩の姿勢を見せない場合、早い段階で裁判に切り替えた方が依頼者の利益確保に資する場合が多いでしょう。

逆に、話し合いの余地があるなら、話し合いを継続し、多少譲歩しても調停を成立させるメリットを依頼者に説明することができます。

調停をゲーム理論にしないためには、弁護士が相手の顔を暴くことが大事ですし、裏を返せば、相手代理人に顔を見せることも大事だと思うようになりました。

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2009年7月 1日 (水曜日)

この事件いつ終わり?

不当な請求を退ける案件は、いつをもって事件の終了と見ればよいか悩みます。

闇金や特商法で契約取消を行う事案は、電話一本あるいは内容証明一本で請求を止められます。

しかし、止めただけでは解決とはいえません。

本当に事件解決というためには、債務不存在の念書まで交わす必要がありますが、このような相手方は簡単には念書は書いてくれません。

債務不存在の訴えまで起こす必要性も感じないケースでは、事件が自然消滅するかたちになり、報酬をもらいそこねます。

消滅時効を援用する事案でも、内容証明郵便一本で請求自体は止められますが、時効中断事由がないことまではわかりませんので、内容証明郵便を出して、はい事件終了、報酬ください、というわけにはいきません。

結局、しばらく事件を寝かせて、相手方から何も連絡がないことを確認しなければ事件として終了できません。

そんなこんなで、事件として事実上は終了しているけれども、完全に解決したわけではないので、まだ片付けるわけにはいかない事件ファイルが少しずつたまってきています。

放置しておいて問題ないけれども、放置するしかできないことになんとなくすっきりしない感じがあります。

請求する側には、支払督促など、簡易な方法がありますが、債務不存在を請求する側も、安くて早くて簡単な手法があればよいのではないかと時々思います。

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